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屁理屈の"へ"

ずっと屁理屈を言って生きている。
そのうち誰からも愛想を尽かされるだろう。

初めは何の変哲もない理屈から始まる。「理屈っぽい」というやつである。
これだけでも愛想を尽かされる要素としては十分である。

なんというか、理屈が好きなのである。理屈をこねるのが好きだ。
理屈って面白くない?面白いでしょ。

面白さって理屈の変形じゃないかと思うんですよ。
理屈こねてたらそのうち面白くなってくるんです、ふつうは。

でもね、突然変異を起こす、理屈は。
こねすぎるか、こね方を間違うと突然変異。ミュータント。

ミュータントタートルズ、それが屁理屈だ。

結局、理屈にするのが下手なので屁理屈になる。
突然変異って本来はそう頻度は高くないはずだけど、
私の突然変異は高頻度である。

もはや"突然"ではない。レギュラーで変異している。

しつこいんだろうな。しつこいのは嫌われるよ。
そりゃそうだ。

陰気だからなぁ
理屈こねまくってる時が、自分としては楽しいんだよなぁ
一番饒舌になれる気がするんだよなぁ

酒の席では、それが顕著になるから、
自分は気持ちいんだけど、周りは聞いてられないかもしれないなぁ

でも
楽しいんだよ。
というか気持ちいい。
理屈言ってる時がさ。

一番、「自分やってる」って気がするんだよ。
理屈こねるのが自己実現なのかもしれない。

実存感がある。
キルケゴール。
実存主義。

自分が自分でいられる瞬間。
自我を再確認する時間。
自分が今ここにいると感じる瞬間。
生きてるって思える時間。
ドーパミンとかいう脳内オピオイドがどくどく溢れ出て、
気持ちいいんだよなぁ

そんな理屈こねる時間の積み重ねの結果が屁理屈だ。

もう不可避だよね。
べつにいっか。