ある感情の経過
※正直な気持ちを書いたものですが、快く思わない方には申し訳ありません。
本当に追い詰められたり実際に遂行してしまった人に比べれば、「そんなことで」と思われる、取るに足りない理由だと思う。
どこかで聞いたある研究報告。
自殺に思い至る条件はたった2つ。
「自分が迷惑をかけている(役に立っていない、だったかな?)と感じる」
「自分の居場所がない」
この2つが揃うだけで人は自殺を考えるのだとか。
そして僕はさっきその状態になった。
かっこわるいけど、家を飛び出し軽自動車を走らせ高速に乗った。ガードレールを突き破ってもいい、なんて思った。アクセルを踏みしめていた。
取るに足りない理由だけと、条件が揃ってしまった。突発的だけど、(あぁ、こういうことなのか)と、なんか分かってしまった。
その時は脳がフル回転か、フル回転しすぎて多分過熱状態だった。冷静ではなかった。(これなら勢いでイってしまえるな)というのがなぜか分かって、分かってしまうことが怖かった。
しかし僕には役割が与えられていた。妻から「塾のお迎えには間に合ってや」って。長女の塾の迎えが約1時間後。妻は僕がこんな気持ちにあることを知ってか知らずか。
家を飛び出した時には迎えのことなど何とでもなると思っていた。とはいえ(間に合ってって、ん、まあそうか)夢中でアクセルを踏み込んでいたけど、間に合うようには帰るんだろうなと、何となく思った。
テキトーにその辺走り回って、約1時間後だから30分走ったとこで折り返したら帰って来られるなと考えた。
行きはとにかくアクセルを踏み込んだ。ただそれだけだった。もう、無謀運転ではなくなっていた。
田舎の高速道路終点のインターを降りる。そこで折り返し、帰りは下道の国道だ。家を出てから25分ほどが経つ。下道はスピード飛ばせないけどあと35分はあるからいける、よしよし。
完全に、長女の迎えに間に合うための思考になっていた。
国道は街灯がなく曲がりくねった海沿い。左のガードレールの向こうは崖、海。真っ暗な海は闇しかなく、闇が多少ライトで照らされたところで闇はやはり闇でしかない。もしガードレールを突き破ったら本当に死ぬ。
往路の運転時間が僕の脳を少なからず冷ましてくれてなかったら、このガードレールを突き破っていたかも知れない。30分、いや、25分、走って良かった。
カーブの多い崖沿いを走るが、頭はやや冷えてハンドルとアクセルとブレーキ操作が協調していた。飛ばしすぎず遅すぎず、僕は長女に間に合うように闇の国道を急いだ。
どうやら間に合うかどうか怪しくなってきた。
僕はスマホを家に置いてきた。免許証の入った財布しか持っていない。民家は疎ら。コンビニどころか店舗の類いはしばらくない。妻に(間に合わないかも知れないから迎えをお願い)という連絡ができない。
急に家を飛び出した。連絡がつかない。どこに行ったか分からない。迎えに間に合うか分からない。帰ってくるかも分からない。
僕は詰んだ、いや詰みかけた。民家のない国道でスマホがなければ、お迎えはおろかもしパンクやその他トラブルに遭ったらどうにもならない。トラブルに遭わないことを願う。
脳が過熱しちょっと良くなかった状態から、今や人との関係性を土台にした思考が展開されていた。
さっきのは何だったんだろうか。
でも良くはなかった。
僕にはそういう素因はあるかもしれない。
怖いな
結局迎えの時間には間に合った。