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めっちゃしっかり「止まれ」で止まってたのに、後ろのナンバープレート跳ね上げてたバイクのやつ

これは「人は見かけに拠らない」というありきたりな教訓の話ではない。コワモテだけど凄く腰が低かったとか、ヤンキーに優しくされてその落差でとてつもなくイイ人に感じたとか、そういうありふれた「ギャップ萌え」の話ではない。

冒頭の青年は排気量400ccほどの自動2輪で現れた。


停止線手前で2回止まった。徐行で誤魔化すことなく、しっかり止まって左足を地面に着け、左右確認後に発進した。走り去る後ろ姿を見ていると、そのバイク青年の後ろのナンバープレートは、やんちゃ少年よろしく跳ね上げてナンバーが確認できないように加工されていた。そこまでルールを順守する人が、なぜナンバープレートを跳ね上げる必要があるのか。いや、跳ね上げる必要はない。何も後ろめたさを感じずに走ってればいいのだ。それなのになぜ。

もしかしたらルール順守はカモフラージュで、もっと重大な何かを犯しているのかもしれない。いや、それだったらプレート跳ね上げてたら余計目立つだろうが。跳ね上げてるだけで警察に呼び止められるだろうな。なんと効率の悪いカモフラージュの仕方だろうか。

いや、もしかしたら悪友のバイクを借りたのかも知れない。悪友はプレートを日常的に跳ね上げて走るような素行の持ち主だけど、この青年自身は真面目だから「止まれ」のルールを守る。悪友にはいつも言っている、「いい加減悪ふざけは辞めて一緒に卓球やろう?」と。

「今度バイク貸してくれるか?」
―いいけど、その代わりもう卓球やろうとか絡んでこないでくれる。
「わかったよ、サンキュー」

で、結局跳ね上げプレートのバイクに乗り、悪友の代わりに自分が警察に注意を受ける。

…そんなお人好しかもしれない。



「人は見かけに拠らない」とかそんな単純な話ではない。「止まれ」でしっかり止まるのに後ろのナンバープレートを跳ね上げているという行為は、土台無理があり、よくわからない矛盾に満ちた行為だということ。