どうやっても結局は男性優位の意識が根に残っていると思い知り、落胆する
昔の人ほど男尊女卑傾向だというのは、事実としてあると思う(あくまで傾向)。はっきり男尊女卑とまではいかなくとも、「男女の役割意識に基づいた言動」は、世代が上になる程グラデーションで増えていく。その役割意識の根付き方は、当人たちの差別意識に依るところもあるかもしれないし、時代の価値観が大いに反映されているところとも言える。
自分がどの程度であるかに客観性は乏しいが、少なくとも「男女の役割意識に基づいた言動」なるものは忌避してきたし、するべきではないと思っている。
生物学的・生理学的特徴による役割意識について、例えば力仕事に生物学的女性の配置が少なめになるのは合理的配慮だと思う。平等ではないけど公平、みたいな。
しかしそんな僕の代わり映えのない生活で、何かのふとした拍子に、ポロっとこぼれる態度や言葉の端々に、生物学的男性視点のジェンダーフリーではない、えも言われぬ空気をまとわせることがある。
それはとてつもなく自然発生的であり、自分の口からそういった言葉が出ている瞬間にも、不可逆的でありながら、「あ、今良くないっぽいこと言ってるな」「でももう、引っ込みつかへんな」って、スローモーションの自覚が伴う。
そしてうわべはそうでありたくないと信じながらも根っこの部分で排除しきれていないことをまざまざと見せつけられ、結局自分もあっち側の人類かと思い知り、落胆する。