人は人を見ている
AさんがBさんのことを
(この人はこういう人だな)
とラベリングするのは、
ある小さな行為・行動の積み重ねによって上書きされていく結果だなと思う。
何か1個の大きな出来事でその人の人となりを決定付けることもあるかも知れない。でも多くの場合は小さなことの積み重ねじゃないかと思う。「ここ」を「どれだけ」「こうするか」の積み重ね。
(あ、ここでこういう風にする人なんや)
(あれ?こっちはこうすんの?)
(昨日と同じ風にここでこういう風にしてるな)
(でもここでこういう風にするんやったら、さっきのこっちもこうしたらいいのにな)
(さっきのこっちもこうしたらいいのにここでこういう風にするのは、一貫性がない気がするけど、それは僕だけの感覚かな?)
(やっぱり今日もここでこういう風にしてるな)
(でもこっちのこれとさっきのあれはこの人にとっては別なんやな)
(この人はこういう人やな)
―――みんなこんな風にしてるんかな?