入学式で一部の先生がマスクを着けていなかったことが、全体としてとても頼もしかった
長女の入学式。
「職員紹介」の時に前にずらっと並んだ先生方は、過半数がマスクを着けているものの、着けずに自己紹介している先生もいた。
司会の教頭、壇上に登る校長、入学学年担当の先生たちは着けていない。
あぁ、主要メンバーだけ着けずにいこうと統一してる?
いや、違った。
少数だけど、他学年の直接関係のない先生にも着けていない人がいる。
おおぉ~
僕は何か粋に感じた。
学校現場は画一的で、最大限にリスクを回避するために当面は式典でマスクを着けるものだと思っていた。しかし見たところ、先生個々の意志が尊重され、「マスクを着けない」という意志を自発的に示す先生がいるように見えた。
無論、公立の学校だから教育委員会、公の方針に従ったまでのことだろう。けど、「リスクを回避するため」という大義名分を振りかざしていない(ように見えた)ことを、僕は好意的に捉えた。マスクを着けていない先生の真意は分からない。けど、「物理的にも心理的にも、人と意図的に距離を置くというリスクもある」「もはやリスクの意味や重みづけは変わってきている」―――そんな思いが有るんじゃないかと推し量る。
だからといってマスクを着けている先生が残念とは感じなかった。
着けている先生がいる
着けていない先生がいる
そんな状況全体が、全体として粋であり、頼もしい。
上級生の生徒も参列する式は4年ぶりとのこと。
ごく少数の上級生に着けていない子がちらほら。
頼もしい。
「まだまだ着けていない子は少ないな。あー残念」ではない。
多数の着けている生徒、着けている先生の中に、少数の着けていない生徒、着けていない先生が堂々と参列し喋っている、それを認めてくれている。長女がそんな環境に身を置ける有難さとそんな学校生活への頼もしさを感じて、嬉しくなった話。
僕はというと、学校敷地に入ってから開式後もずっとマスクを着けていたが、堂々たる少数の先生たちを見て、式の途中でマスクを外した。すぐ影響される。
横に座る妻は着けたまま。それも自由だ。式の途中も式の後も、妻と面と向かっていろんな話をした。僕がマスクを途中で外したことに何も文句を言わない。妻もなかなか粋だな。
式から2日後の今日、
「え、マスク外してる先生なんかおった?」
「え、マスク途中で外したん?」
「初めから着けてなかったん?」
マスクを着けてない先生の存在も、初めは着けていたが途中で外した僕のことも、何も気付いてなかったらしい。
妻には何が見えてたんだろう?
妻の眼はステレオグラムを見るようにできてるのだろうか?僕と面と向かってずっと話してたのに、焦点を意図的にずらしたとしか思えない。
余談が過ぎた。