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タイ米と水不足

小学4年の夏、冷夏でコメが不作になった。「日本人はジャポニカ米しか食べてこなかった」みたいなある種の誇りから、東南アジアの米どころであるタイの長粒米を輸入せざるを得なくなった時に、「これから日本が大変なことになる」という雰囲気を子どもながらに感じ取った。

母は、「たいへんたいへん」と言いながらも世間の流れに乗り遅れないように工夫する人だった。「タイ米試してみようか?」

長粒米はジャポニカ米に比べてパサつきがあり、「ごはん」単体でコメを食べる日本人には向かないと方々で言われていた。母は試しに買ってきた少量のタイ米をカレーとパエリアにして出してくれた。エスニック料理の雰囲気で楽しむことができた。

パエリヤは今ではその辺の飲食店で食べられるが、当時は珍しかったと思う。どこのどういうつながりか、母はスペイン語を習っていた。スペイン語は身に付かなかったが、代わりに(?)パエリヤの作り方を身に付けた。コメ不足になる前にジャポニカ米で作ってくれたことがあった。ジャポニカ米でも十分美味しかったが、タイ米ではそのパサパサ感がパエリヤの味を一層引き立たせた。

冷夏はタイ米で乗り切った。


翌年は戦後最悪と言われた猛暑だった。グレタ・トゥーンベリさんではないが、日本の郊外の小学生が地球の行く末をいっちょ前に案じた、初めての夏だった。

日本各地のダムやため池が干上がり、アフリカの干ばつでしか見ないような田んぼの土がひび割れているニュース映像は、小5の心の不安を増幅させた。自分の地域が断水することはあったかなかったか。給水車が来たような記憶は、もしかしたら適当に上書きされているかも知れない。いずれにしても、水を少量だけ流したりできるだけ使わないようにしたり、効果があるのかないのか分からない節水を実践した。

夏休みの家の手伝いで、庭の水やりを続けていた。小学生がホースで水を撒くのは簡単ではない。途中でホースがねじれたり長さが足りなくなってリールを伸ばしに戻ったりで右往左往する。夕暮れ前でも気温は高く、汗だくになっていると汗のにおいに蚊が集まる。暑いしかゆいし、出しっぱなしは良くないし、気を回さなくてはいけない事が多くて大変だった。一回につき50円もらっていたから文句は言えない。

できるだけ水を使わず水やりできる方法を私は考えた。

屋根の雨樋をヒントに、牛乳パックで樋を自作した。プランターを置いている棚の下に、牛乳パックの樋で水を受けられるように斜めに貼り付け、一か所に流してバケツに水をためた。プランターにしみ込んだ水が底から滴る。今まではそれらはすべて無に帰していたが、樋で回収、再利用できた。集めた水はじょうろに移して別の鉢や花壇に撒いた。ホースでやるより手間は増えたが、自作の節水装置が機能したという達成感があった。

あと、米の研ぎ汁や風呂の残り湯をバケツで運んで水やりに使ってもみたが、匂いがしたりその辺の床をびちゃびちゃにしたりといったコストが上回ったので、それはやめた。

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