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中学に入って「巻かれる」か「巻かれない」か

6年間クラス替えのない、小さな小学校だった。一方で中学は、新興住宅地の小学校と合流する、大きな中学校だった。

6年間の気の知れた仲間たちは、中学入学を節目に「巻かれる」か「巻かれない」か、選択を迫られた。

私たちに比べ、新興住宅地の子たちは垢ぬけていた。私たちは人数で負けていた。今思えばそんなことはどうでもいいのだが、当時は重要なことだった。人間関係で成り立つこの世界では、12歳の清廉な片田舎組が黒船のような連中と付き合っていくには、「巻かれる」か「巻かれないか」、つまり「うまく付き合う」か「貫き通す」かが、人生を左右する決断に等しかった。

4月頭の入学前説明会で、"黒船”の連中とプレ合流した。私たち片田舎組のうち早々に「巻かれる」選択をしたやつらは、すでに仲良くなって一緒に部活見学を周っていた。小学校の卒業式前から髪を伸ばし始め、春休みでさらに整えられ、4月には"センター分け"ができるくらいになっていた。部活見学を周る「巻かれた」やつらは、"黒船”と見た目の遜色がなかった。デビューを決めていた。

それ以外の片田舎組は、特に「巻かれない」選択をしたのでもなく、ただ何も分かっていなかった。どういう選択をしたらいいかどうか逡巡するうちに、入学式が迫っていたというだけだった。そしてその後も明確な選択はできないまま、「巻かれる」か「巻かれないか」ではなく、ただ「何かを選び損ねた」だけという分類で中学時代の多くを過ごすこととなった。

"黒船”本体とその本体に「巻かれた」やつらは、校内の雰囲気を牽引した。その雰囲気には「おしゃれ」や「いじめ」などが含まれていた。

「何かを選び損ねた」やつらの中には、片田舎組だけでなく"黒船”から漏れ出たやつらも含まれた。なので、「何かを選び損ねた」やつらは巨大な有象無象であり決して一枚岩ではなく、自然発生的に階層を形成した。

「選び損ねた」やつらのうち、“黒船”本体の真似事をして上位に立ったやつらでも、"黒船”本体に入ることは叶わなかった。"黒船”本体に入っていたのは、ハナから"黒船”だったやつらと、入学時にすぐさま「巻かれた」片田舎組の一部、それだけだった。学校は、「"黒船”本体」と「それ以外(選び損ねた奴らの有象無象)」、ただそれだけだった。

階層の中で、心を病むか、強く自分を保てるか、保とうとすることで心がカバーされて病んでいることに気付かないまま大人になるか、概ねどれかに分類されると思っている。たぶん3つ目がボリュームゾーンじゃないかとも思っている。






…暗すぎ?

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