これからの理学療法士は経験だけでは戦えない
リハビリ専門職、こと理学療法士の実習は様変わりしている。
理学療法士の業務の三本柱は「臨床・研究・教育」である。さらに教育は言い換えると「後進の育成」であり、「後進の育成」は理学療法士の義務とされている(日本理学療法士協会「理学療法士の職業倫理ガイドライン」平成24(2012)年4月15日改正 第17項)。好き嫌い・得意不得意にかかわらず、理学療法士には後進の育成に向き合う義務がある。具体的には、職場の後輩への指導、そして学生への臨床実習指導である。
専門学校上がりが主流だった時代の臨床実習では、実習指導者は「経験」を武器に戦えた。しかし大学~大学院を経て研究の作法を身に付けた臨床家が増えている今では、そうはいかないと個人的に思っている。
「経験」が十分武器になった時代では、実習指導者こそが学生にとっての将来のロールモデルだった。国試に受かって働き始めたら自分がどうなるのか、指導者の背中を見ていれば学生が明確にイメージするのは容易かったはずだ。しかし、医療・介護・福祉・保健を取り巻く社会の変化に呼応する形で養成課程も変化した。社会的役割の中で教育の高度化や再現性・客観性の担保が求められた。大学院に進学し、統計を使いこなし、クリニカルクエスチョンを自ら解決できる、研究のできる理学療法士が増えている。
理学療法士は二極化していると感じる。肌感では「研究のできる理学療法士」と「研究のできない理学療法士」だ。後者が悪だというのではない。まだ後者の理学療法士の方が多数派だろうと思う。しかし職業優位性で見ると、今後「研究のできない理学療法士」が明らかに不利だと感じざるを得ない。教育機関・研究機関はもちろん、事業を立ち上げるにせよ経営に関わるにせよ臨床に残るにせよ、研究により課題解決できる理学療法士こそが方向性を示すことができる(と思う)からだ。
10年前と比べて、理学療法関連の学術集会では活動報告的な発表や「~の経験」と題される類いの演題は激減したと思う。最近の学会では、殆どの演題は統計解析の手順を踏んでいる(優劣はあるのかもしれないけど)。演者の多くは教育機関や研究機関の所属、あるいは院へ社会人入学した臨床家だ。そういった意味で、臨床経験しかない「研究のできない理学療法士」が学会で演題登録するハードルは急激に上がった。体裁だけ整えたそれっぽい発表は通じなくなっている。
それでもやはり卒前教育としての臨床実習は、あくまで現場の経験を伝える場であり、研究作法を指導する場ではない。「経験」しか持たない理学療法士は僕も含め、今後も「経験」を武器に戦うしかない。
しかし僕の「経験」だけでは、これからの実習生のロールモデルは完成しない。
実習生に伝えるべきこと、それは自分の経験だけでは足りない。
伝えるべきは、
理学療法士が二極化に向かっており、必ずしもこの先の身分保障がなされてはいないこと、その上で自分で道を選択して拓ける力を身に付けないといけない。研究ができるかどうかが理学療法士の価値基準の一つになるかも知れない
という現実だ。