禊ぎ
さっきからうちの前を、防寒着で身を固めた高齢のどなたかが行ったり来たりしている。時代的な見た目の解釈で、色合いが多分女の人っぽいけど、見た目に性別は断定できない。
2階建て借家の1階の居間は掃き出し窓である。こたつに座る僕は、特に見ようとしなくても外の様子がカーテン越しに眼に入る。視野の範囲の映像は、その視野の主が何か意味付けをして初めて意味を持つ。
冒頭の高齢のどなたかは、やや紫ベースの毛糸生地で身を固めている故に、物体の移動という物理現象が先に目立つ。しかし視野の主としては、焦点を別の部分に置いている。紫ベースの物体の移動に頓着していないから、そこに意味は発生しない。
ニット帽に粗編みの紫ベースのオーバーを着込み、キルティング地の防寒ズボンと運動靴を履き、両手にグレーの手袋。荷物はなく両手フリーで、緩やかな傾斜の住宅道路を往復する様は、健康目的の散歩に他ならない。両手が空いているということは、杖が不要な健脚の持ち主たる証左だし、万が一つまずいた場合のリスク管理でもある(咄嗟に両手を着けるから)。近所の高齢世帯との繋がりが多くはないが、健康リテラシーの高い人が多いなと感心する。
という具合に、意味の後付けをしていると紫で着込んださっきの人はもういない。
今季一の寒波だけど、視野の映像にその意味を含む情報は含まれていない。敢えて意味付けるなら、街路樹のヤシがむしろ温暖であるかのように振る舞う。そう見える。防寒着で固めた高齢のどなたかが、寒波を示す唯一の「意味」だった。今となっては。
窓ガラスが薄いので断熱性は低い。
エアコンつけっぱなしでただ映像描写だけするという作業に、何の意味があるかは分からない。暖房効率が著しくよくない点で言うと、極めて贅沢、いや、非生産的、それ以上、無駄を通り越して罪悪を振り撒いている、そんな意味付けもできそう。
それか逆に、何かの禊ぎになっている
という可能性もなくはない。