サイン+サンクス運動は違う気がする
全国的に横断歩道での車の一時不停止が問題視され、各県が取り組みを行っている。
その取り組みのひとつが、
信号のない横断歩道で歩行者が渡ろうとするときに行う
「サイン+サンクス運動」。
宮城県ではこの「サイン・サンクス運動」で一定の成果があったと。
しかしこの課題に対するこの手のアプローチは、僕は違う気がする。
少なくとも歩行者として僕は居心地が良くない。
そもそも信号のない横断歩道は歩行者優先と、道路交通法で決まっている。危険行為のある歩行者の非を除けば、大前提、止まらないドライバーが悪い。
ところがつい交通量が多過ぎたりつい田舎過ぎたりつい歩行者の存在に気付かなかったりつい急いでたりついついめんどくさかったりで、歩行者がいてもドライバーはついつい止まらないのが普通だ。たまたまパトカーと出くわしたら急ブレーキをかけて止まろうとする路線バスやタクシーを見かけることも、珍しくない。ついつい確信犯が多いというのが僕調べだ。
「サイン+サンクス運動」は歩行者に努力を求めている点が気に食わない。渡り終わったらお礼の会釈をする。ドライバーを気持ちよくさせ、それが各地で同時多発的に繰り返されることで、結果、全体的にドライバーの行動変容を促すという仕掛け。
ドライバーの行動変容を促すのは理解するが、きっかけを歩行者に作らせるなという話だ。損しているのは歩行者なのだから、歩行者からドライバーに働きかけろというのは損に損の上塗りだ、そんな人情。
じゃあドライバーに努力させるのがいいかというとそれも違う。ドライバーが努力して法律を何十年も守れなかった結果が今だ。
何かを変えたいときに、人の意識や努力に頼るのはもう詰んでいる。
そんなのは小中学校の風紀活動の範囲だ。
テクノロジーに期待しよう。