ニンゲン、きらい
一日4回差さないといけない目薬を職場に忘れてきたので、休日だけど朝から車で職場に行った。
僕は休みだけど多くの人は朝から仕事に向かう。働き方が多様になったとはいえ、暦通りの勤務形態が多数派だ。週の真ん中水曜日(真ん中もっこり夕焼けニャンニャン)だし。
朝から職場で目薬を回収してとんぼ返り。まだめいめいの職場へ急ぐ車に混じって、僕は特に慌てる必要がないので普通の速度で帰宅する。
おっと…
下り坂の左カーブでインにはみ出して来た対向車とぶつかりそうになる。
プーー!
腹いせにクラクションを鳴らす。
クラクションは本来、未然の出来事に対して鳴らすものであって、起こった後に威嚇で鳴らすものではない。そうだとしっかり理解しながら、それでも怒りの気持ちが勝つので、突発的ではなくある種選択して鳴らすという行動を取る。アドラーの「目的論」に適っているなと思う。やられたことに怒って反撃するのではなく、そもそも僕は怒りたくて(怒るために)クラクションを鳴らすのだ。
心がざわついたまま(はみ出して来たことにびっくりしてざわつくのか怒りの気持ちと確信犯的クラクションへの後ろめたさでざわつくのか分からない)、数分家路の続きを走る。
おい…
大きな交差点を右折する瞬間に、僕の直後の後続車がインコースから追い抜いて、そのまま前に出て行った。
言葉がなかった。腹いせのクラクションも出なかった。もう何度となくやられているのだ。
追い抜く瞬間に見えたその運転手はおばはんだった。
腹いせに追いかけて煽ってクラクションを掻き鳴らすことも出来るんだろうけど、それはしていない。
その代わり、僕はもう人間が嫌いだ。
僕には今日のような出来事は珍しくない。
僕はもう何度となく交差点の右折でインコースから抜かれたり、カーブでショートカットしてくる対向車に怯むことなくむしろ近づく意志を見せて相手を困らせる(困るのはこっちなのだが)ということをしている。
毎回疲れるが、今日もとうとう疲れ果て、僕は人間を嫌いになることにした。
怒りや落胆は期待の表裏だろうから、僕は地域のドライバーに過度な期待があったようだ。「フツーにしてくれ」と。しかしもう無理だ。僕は人間が嫌いだ。
今までの体験のせいで、僕は人間を嫌いになるのではない。初めから、人間を嫌いになることを目的として行動を積み重ねた結果、目的通り嫌いになれたということだと思う。
今日追い抜いて行った危険運転おばはんに礼を言わないといけない。アドラーの「目的論」に適っているなと思う。
分かっていたと思っていたけど、改めて自分の本質に気付かせてもらった。
オレ、ニンゲン、きらい。