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おっちゃん2人で秋のチョコ祭り

勤務先の病院には売店がある。最近では、多くの主要な病院に大手コンビニがテナントとして入っているのを目にする。しかし私の職場は地域の小規模病院ゆえ、いわゆる「売店」が関の山である。といっても患者さん・利用者さん・職員から長く愛され、数人のパートのおばちゃんも同じ顔ぶれでずっと長く勤めてくれている、病院密着型の町医者的な売店である(ややこしい)。

売店のウリは、入院生活に必要なアメニティ類以外に、日配の食品、特に毎日作りたてのパンを並べてくれているところである。

売店入り口の看板に「秋のチョコ祭り」のポップが躍る。チョコをあしらったパンのキャンペーンだ。

昼休み、ボランティア送迎車両の運転手(シルバー人材センターのおっちゃん)らが2人、看板の前で談義している。「秋のチョコ祭り」をどうしようか話している様子。

何かを見ながら何かを考える時、人は片ひじを曲げその手首をお腹の前に置き、反対の手は古畑任三郎のように口元に持ってきて人差し指を鼻の下に掛け口を覆う。

「秋のチョコ祭り」を品定めする送迎ボランティアのおっちゃんも、スーパーで買い物するおばちゃんと変わらない。

緩和したとはいえ、コロナ・インフル・手足口病・溶連菌などなど、感染症は不滅である。あぁ、ダメだよ、そんなにマスクの上に手を持って行っちゃ。マスク表面は汚染されてるんだから、みだりに手を触れるところじゃないんだよ。そんなに触るんだったらマスクの意味はもはや無いに等しいから、マスク取っちゃいなよ。

秋のチョコパンのポップはどれも美味しそうであるが、そんなに時間をかけてじっくり見るものでもない。ましてやシルバーのおっちゃんが2人で「どーれーにーしーよーおーかーな」をするものでもない。1人で見るならまだ分かる。「昼メシどうしようかな?(チラっ)」ぐらいならまだ分かる。しかし。2人でじっくりポップに正対し、腰を据えて談義するほどのものではないのではないだろうか?


いやいや。どうやら違うようだ。私が違っていたようだ。

送迎ボランティアの合間に時間を持て余し、世代的に特にスマホを見る習慣はなく、タクシー運転手のように長時間路駐でアイドリングしてラジオを聴く習慣もない。そこにあるのは「秋のチョコ祭り」だけだ。目の前のエンターテインメントが「秋のチョコ祭り」しかなければ、おっちゃん1人であろうとおっちゃん2人であろうと、人がチョコの品定めを始めるのは自然の摂理といえる。じっくりポップに正対し、十二分に腰を据えて談義するほどのものなのである。


そんなに楽しそうに品定めしてるのに、結局売店行かへんのかい。