首が痛い
首が痛い。
何を目指して生きてるのか、時々分からなくなることがある。
毎日が流れて過ぎていってる時、「このまま同じことの繰り返しがずっと続くんかなー」って思うとぞっとする。こんな気持ちは、前々から少なからずあったけど、ここ1か月ほどで増えていて、そういえばちょうど首が痛くなり始めた時期と重なってることに気付き、得心する。
これはストレスだ。しかし僕の場合、何かの原因がストレスだとはっきりした途端、「あれ?首が痛くないよ」…とはならない。そうは問屋が卸さない。今の流れだと、「不思議と首の痛みはなくなっていた」となるはずだけど、僕はまだ首が痛い。
僕はへそ曲がりだ。へそ曲がりのコンコンチキだ。ストレスだと分かったのなら、素直に痛みを感じなくしたらいいのに。「どうせストレスが原因だったんだろ?」と周囲に軽く見られまいとして、頑なに痛みが引くことを固辞している。
へそ曲がりはへそ曲がりらしく生きていく。へそ曲がりにも所作があるのだ。へそ曲がりじゃない人には残念ながら分かるまいが、へそ曲がりにも所作はある。どんな所作かと聞かれると、ちょっと出てこない。へそ曲がりはへそを曲げていることをアピールするために意固地になり、その場しのぎの妄言をしがちだ。結局のところ、へそ曲がりにもれっきとした所作があるかどうかはご想像にお任せする。
理学療法士なんだから自分の首が痛いのぐらい自分で何とかしたらいいんだけど、そう上手くはいかない。でもだからといって「ヤブPT(理学療法士のこと)だ」と烙印を押されると、たぶん大人げない怒り方をすると思う。プライドだけはいっちょ前なのだ。