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「どう?こっちの生活は。いいとこでしょう?」?そうじゃないときどうするんだ。

故郷の匂いってある。同じようにツクツクボウシを聞いても、そこから香る草の匂いは、どこか同じじゃない。

生まれ育った場所とは違うところで暮らしている。子どもの時に夏の道端の縁石に座り感じた、アスファルトの照り返しと湿度とにおいは、今同じような条件下にいても再現されない。道端のわずかな日かげで、道路脇に溜まった砂に作られた蟻の巣を、棒の切れ端でこすって壊したりした。その時のにおいは、炎天下の似たような環境であっても今再現されることはない。

そのときの五感は、物理的な条件以上に、故郷の匂いなんじゃないかと思っている。

今暮らす場所は自然の豊かなところである。自然の濃度だけでいうと、生まれ育った場所よりも今暮らす場所の方が濃度が高い。しかし、だからといって、ふとした時に郷愁を感じるかというと、そうではない。高い自然の濃度に刺激されて故郷の情景がよみがえるという都合のいいことばかりではないのだ。

少年の日に摂り込んだ湿気や冷気や草土の匂いや木漏れ日や夕暮れは、故郷の匂いだった。どうやったってここには無いものだ。


だからさ、
「どう?こっちは。いいとこでしょう?」なんて聞くのは無粋だから。
聞かれても困るし私も聞かないことにするよ。