読経の最中に考えること
先日、親族の通夜に行ってきた。
読経の最中って普通どんなこと考えるかな。
まさか、この後なに食べよう?とかは考えない。
「もう遠い話ではないな…」
最近僕はそう考える。
死を近くに考えるようになる。
有難いことに両親は健在だが、
もうそれなりの年齢で、大なり小なり持病はある。
両親だけじゃない。
人生100年時代で自分はまだまだ先だと思っても、
誰もが等しく寿命に向かって進む。
「等しく」というのはあくまで客観的な時間。
主観的には、様々な事情で速度が異なるケースも当然ある。
自分の近い人に「何か」があったとき、
「自分は切り替えられるのか?すぐ動けるのか?」
今回の読経の最中に僕はそんな疑問が浮かんできた。
僕は自分のことを
「そんな切り替えられるほど大人じゃない。すぐ動けるほど社会的に成熟していない。」と、
こと緊急事態においての自分の行動を信じきれないでいる。
そんな緊急事態、これからするとしてもしょっちゅうすることではないから、経験値が付きにくい部分だ。
多くの人は、やらなきゃいけない中で必死でやるのだと思う。
人の天命をどうこうはできない。
自分の天命を全うできるよう、身近なことから。
まずは自分と家族が健康を維持できるよう。
精神と身体が健やかであることを、自分のライフワークの土台に置きたい。
それ以上に優先することなど何もない。
僕の人生のミッションステートメントは
「健やかであること」。
「何か」があったときに切り替えられるのか、行動できるのか、それは起こってみないと分からない。
今日をしっかり生きる。
そしてミッションステートメントを達成する。
その過程の中で「何か」に備えた準備も進めていく。
読経の最中、そんなことを考えていた。
今日もありがとうございました。
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