にごり
よく行く川遊びの川の水が、今日はややにごっていた。少し下流にある堰で流れがせき止められ、いつもの遊泳エリアがいわば水たまりのようになっている。連日の日照りで水位が下がり、堰からは板の隙間から一定の水が流れ出ている。いつもは堰のコンクリートを越えて水があふれるように流れているのに。水流が減った分、水のにごりが増えたのだろう。
私はゴーグルは着けず裸眼で潜る。いつもは透明度が高いからある程度それでもいいのだけど、今日はにごっている。堰で止められた水たまりみたいな川に裸眼で挑んでいる。田舎の上流の清流なので小さなお魚がたくさん泳いでいる。
うわっ。今日は初めて、川の主とも思えるような大きなコイがそばを通り過ぎた。コイは陸から鑑賞はすれど、同じ空間を共有すると恐怖を感じる。イルカさんと泳ぐのとは違う。コイと泳ぐのはちょっとな。
小さなお魚や大きめのコイが泳ぐにごった清流に、裸眼で潜る。
きっと小さな微生物が水中には多く潜んでいる。お魚やコイのフンも流れきれずに滞留している。
私はそんな清流に裸眼で挑んだ。口から多少飲み込むことは許容している。いつものことであるから。しかし裸眼で挑んだことの影響は定かではない。
自然と共存するというのは、いち市民レベルの視座に立つと「お魚とコイのフンを裸眼で許容する」という事でもあると思う。溶連菌や破傷風、大腸菌、レジオネラ菌、その他多くの微生物を許容しそれらと共存する。それが自然と共存するということ。
資本主義と民主主義が行き詰った時、市民は文字通りサバイバル能力に長けた人が生き残ると思っている。
「急に何?」と思われるかも知れないが、特段「急」でもない。世界は今どう動くかわからない。いち市民としては、DXへの転換を進めながら同時に自然と共存する道もこしらえていかなければいけないというのが、私の持論である。
身体的にも心理的にも自然への免疫を上げていかないといけない。
で、裸眼で潜った。にごっていたけど。