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人のためになること
こんばんは。
挨拶すると印象が良いと聞いたのでまずは挨拶から。
人のためになることをしたい。
一応、今の仕事は人のためになる仕事である。
じゃあもう人のためになることしてるじゃん。
じゃんって言われても。
いいやそういうんじゃなくて、仕事以外でだよ仕事以外で。
仕事は抜きで、人のためになること。
そうだ、人のためになる記事を書きたいな。
書けよ、書けばいいよ。
書くのが好きなんだろ?
人より少しは自分の方が書くのが上手いって思ってるんだろ?
無性に書かずにはいられなくなる時があるんだろ?
手が止まらないほど書き続けてしまうんだろ?
言葉が泉のように溢れてくるんだろ?
そんなことはない。
ちょっと「せんせいあのね」で褒められただけだし、
「自分の方が上手い」って比べる対象を選べばだけの話だし、
無性に書かずにいられないなんてほとんど思わないし、
タッチタイピングが下手だから手は止まるし、
海の家で数人同時にシャワーひねった時くらいの言葉の出方しかしないんだよ。
そんな自虐のような謙遜は遠回りだからやめた方がいいよ?
印象良くないよ。
…ということだそうです。
私の脳内で「インサイドヘッド」のような話し合いが行われました。何か人のためになりたいというのは本心なのですが、何か企図して人のためになることをするってのは難しいもんですね。だって、「これは善良な心から出た考えなのか?」「好印象を狙ったものじゃないのか?」「どうせ偽善だろ」という考え達が横槍を入れてくるから。
得てしてこれまでは、後々振り返ってみれば「人のためになってた…かな?」ということの方が多かったと思います。「人のためになる」というのは後付け、偶然の産物なんですよね。
歳を重ねていろいろ経験してくると、自分のことよりも社会貢献に目を向けるようになるらしいです。今の私のように、頭で考えてやっているうちはまだまだなんでしょうな。頭よりも心から走り出すように行動が起こるぐらいでなきゃ。
まだ歳を重ね足りないんでしょう。
少なくとも100歳は超える予定だからあと59年以上はあります。
じっくりと、人のためになる人になっていこうと思います。
心配ないですよ、命短しナンタラとか言いますが、
じっくり心を育てる時間ぐらいはありますから。