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僕にとっての10年の景色、患者さんにとっての60年の景色

「懐かしいなぁ」

90代の患者さんがつぶやく。
病院から見えるその景色は、この地で過ごした時間を想い起させた。

僕は当地に越してきて10余年
患者さんは当地に越してきて60余年

同じ景色を見ていたのに、触れてきた時間の幅が違う。何だか不思議だった。

同じ景色のどの部分に対して何の記憶の紐づけで以て、「懐かしいなぁ」なのか。

僕はおそらくその部分に対して「懐かしいなぁ」はない。

建物の外観とか道幅とか、雲の形とか気温とか、木の高さとか植栽の種類とか、そういったものは当然変わっていくけど、緯度・経度の全く同じ地点。

空気は60余年前から動き変わってるけど、「空気」はそこから動いていない。

写真のように切り取られたのは、
景色そのものというよりは「空気」だ。

触れてきた時間の幅の違いによって、「空気」は異なる形でその人の記憶へ紐づけられる。



患者さんと横並びで立っていた三次元から、
四次元の世界へ行った気になったのも束の間。「四次元にトリップする自分に酔ってるだけだ」とメタの自分から揺り戻しを食らう。

今見えているものだけが無機質で確かなものだと、
哺乳類としての生を全うするだけだと、
心と頭をカラにして何も考えず、
食って寝て起きてを繰り返したら人生は過ぎるから。

意味を持たそうとしても意味は出てこない。

この90代の患者さんは、意味を持たそうとしていなかった。
勝手に意味が生まれた、そんな感じだった。

「懐かしいなぁ」って。