替えボタンの気持ち
年の瀬に新しいズボンをおろした。後ろポケットへ何気に4本指を突っ込んだら、チャック付き小袋に入った替えボタンが出てきた。
思ったのは、服に付いてくる替えボタンは使った試しがないということ。
完全にボタンの糸がちぎれたら替えボタンを使うだろう。しかし完全にちぎれるまではいかず、玉留め部分が少し伸びて、ちぎれるのは時間の問題っぽいんだけど、頼りなく感じるんだけど何となく切れずにそのままいける、多くの場合はそんな感じだ。そして、文字通り「首の皮一枚」でつながった状態の期間は数年に及ぶことがあり、その間に購入当初の替えボタンの所在はわからなくなる。だから、数年後に糸がちぎれてもボタンを替えようがない。つまり替えボタンを使う機会はほぼない。
それなら替えボタンは裁縫セットと一緒に(裁縫セットと一緒じゃなくてもいいんだけど)、所定の置き場所を決めてまとめて保管すればいい。それなら仮に糸がちぎれても替えボタンの所在を探さなくて済む。だけどそうやって保管しているときに限って糸がちぎれることはない。
だからいずれにしても替えボタンを使う機会はないに等しい。
替えボタンはズボンの仕様に合わせて2,3個付属している。1個でさえ使わないのだから、2個目3個目などもっとない。
生まれ持った役割を果たしきらずに生涯を終えがちなモノは、ほかにボールペンの替えインク、折れたシャー芯、目薬、オフィスの消しゴム、アロンアルファ、木工ボンド、などがある。
皆それぞれに悔しい気持ちがあることと思う。
12月30日にわざわざ言うことではないが。