春と初夏のはざま
この時季は何もかもどっち付かずだ。地球と太陽は僕たちをどうしたいのだろうか。特にどうしたいとも何とも考えてはないのだろうけど。
足元。
寝てる間は冬用の厚手の靴下を履くが、温かくなるのか暑くなるのか心地良くなるのか、知らない間に脱いで床にポイっと放り出している。
朝起きると床はややひんやりしているものの、むしろそれが心地よく、素足のまま階段を降りる。そのくせ、冬の間の習慣でスリッパを履く、素足で。
暑いとか寒いとかいう感情が特には芽生えることなく、朝の支度を続ける。朝の支度の間は、惰性でグラファイトヒーターがつきっぱなしである。
洗濯を干すために、寝室の窓際へ行く必要から布団の上を踏んで歩く。布団を踏むのでスリッパは布団の手前で脱ぐ。窓外の物干しさおに干してまた布団から床に降りるが、脱いだスリッパを履くのを忘れる。つまりその程度、寒いかどうか忘れるほどの室温。
朝の支度の途中、車で長女を最寄り駅まで送る。冬の間はハイカットのブーツ崩れのようなものを履いていたが、今は草履だ。素足に畳地の草履。長女を送って家に戻ると、素足に草履の足元がやや冷えているのに気付き、靴下を履いて、布団のそばに忘れたスリッパに再び足を入れる。
丁度いい加減の中間、中庸とでも言うべき状態に、足元がなかなか落ち着かない。
上半身。
通勤は自転車なので、朝一外気に触れる瞬間はひんやりする。なので、厚くも薄くもないパーカーで自転車を漕ぎ出す。
僕の出勤を祝うように、真西に向かって自転車を漕ぎ出す僕の背中を、朝日が高度を上げながら照らしていく。職場まで4分の3の距離を過ぎると、僕はじんわりと額と背中に汗を感じる。ここへ来て、「厚くも薄くもないパーカー」が、しっかり分厚いパーカーに様変わりする。
真冬には薄すぎてこんなの着られるか!と啖呵を切ってしまいそうなパーカーが、同じものでも春と初夏のはざまには、ボディスーツの如く保温機能しか感じられないパーカーに感じてしまうのだから、人の脳のセンサーは現金と言うべきか、ホメオスタシス万歳と言うべきか、ホントにまったく(´~`)
アッチョンブリケ。