ボタンをつける、ただそれだけだけど。
長女の服の千切れたボタンをつけた。ただそれだけだけど。
ボタンをつけるのは僕の役目だ。上手にはできないけど。
つけないとまずいボタンと、何か千切れたままやり過ごしてても大丈夫そうなボタンとがある。縦に4つぐらい並んでいるうちの下から2番目は、千切れてもやり過ごして良さそうだ。見た目にすぼらなだけで、機能的には問題ない。トップスで隠してしまえたりもすれば、見た目にも問題もなくなる。
長女のそれは、つけないとまずかった。肩から吊り下げ式のスカートの接続部分。前2か所後ろ2か所のうち、後ろ1か所が千切れた。4つに分散していた重みを3つで賄わないといけなくなった。ちょうど、高齢化が進み人口分布が変化し、高齢者1人を支える現役世代1人あたりの年金負担額が増えるのと同じ構図だ。
年金は千切れたままやり過ごしても大丈夫か?おいそれと「大丈夫」とは言えないけど、何かそれはそれでありじゃないかとも思う。
長女のスカートはデザイン重視であったため、重みを4つに分散するにしても強度が十分ではなかった。金属ボタンなりホックなり、ある程度のストレスに耐える素材ではなかった。
そもそも構造的に問題があるとして、じゃあ千切れたり千切れそうになった時はどうするかと言うと、ユーザーの自助に委ねられるわけだ。メーカーも「その程度のもの」というハナからの認識であれば、ユーザーが自分で補修すればいいわけだから、製作段階でのカイゼンを図らないかもしれない。
しかしユーザーの自助に全く期待できなければどうだろう?ユーザーには自分で補修する意志が皆無とする。そして「このスカートはボタンがすぐに千切れる」と評判が広まるとする。自分で補修すればいいと皆が思えば、買う人もいよう(買わない人もいよう)。しかしこの世界では皆等しく補修の意志が皆無である。すぐに千切れるものはハナから買わない。メーカーもその事実を把握している。ならばスカートが売れるために、必死でカイゼンを図る。
これはちょっとな…
ダメだな…
なんて思うものに対しては、NOを突き付けていいんじゃないか。自助努力が半ば功を奏すものだから、そこに依存的になるという側面はないだろうか。
日本の年金制度は優れているとか、一方で今や破綻するんじゃないかとか、議論は様々だろう。ただ、仮に不備が不備を呼ぶような制度なのであれば、自助や互助の発揮で何とかしてしまおうとせず、総スカン。
…することで、ようやっと、「じゃあ仕方がないから」と、年金ではない何かが生まれるかも。
ただ、ボタンをつけたと、そう言いたかっただけ。