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ふと悲しくなることがある

時の経過にふと悲しくなることがある。

時間の経過とは言わず、もっと大きな"時"の経過。

「小さかった子どもが大きくなって…」
「昔はあんなにはしゃいでたのに…」
「40過ぎたらいっきに来ますよね」
――とかそんな単純な話ではない(むしろ40ってまだ若い)。

自分たちが今日の今も歳を取り続けていて、今日の今のこの状態とこの気持ちは、流れていってしまうんやなぁとか、そんな風に思うわけ。

(カチ、カチ、カチ、カチ、…)
この秒針の時計なら立ち止まる猶予がある気がする。

(スーーーーーーーー…)
音のしない滑らかに動く秒針の時計。この時計は立ち止まることを許さない気がする。

"時"の流れを形容するなら本来は後者だ。

前者の秒針の間隔を規定したのはヒトだ。(カチ、カチ、)は数直線上の目盛りに過ぎなくて、本来は後者の時計のように"時"は連続性があって滑らかなもののはずだ。

今のこの瞬間をスクリーンショットしたくても、そう思ったときには既に遅い。

回転寿司でぎりぎりで取り損ねたほしい皿が隣に流れしまうような、
生命の危機ではないけど、もうどうにも取り返しがつかない、

そんな悲しさを、ふと感じることがある。