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「パパが笑ってくれへん」

基本的にわが子のする事に対しては笑う。真剣に取り組む行為の中で自然に生まれる抜け感、失敗、天然、こういった諸々を面白いと感じ、思わず笑う。乳幼児期から学童初期は、それでたくさん笑わせてもらった。ありがとう。


学童期終盤を迎える今、次女がボケてくる。
ジャミラみたいにロンTを被り、無表情で傍に立っている。僕が反応するのを待っている。

初めは学童初期からの延長で笑っていた。まだ抜け感の残り香があったから笑えた。

しかし。
ボケてくる。

僕は日常の切り取りに面白さを感じていたのであって、意図的に生み出した子どもの全力のボケには笑えない。悪い親なのかも知れない。笑ってやれよって。

「めっちゃおもしろかってんで。今日な、~~」

もう笑えない。


ひどい親だな。


先日、僕がいないところでばあばとじいじと妻に漏らしたらしい。

「あんな、悩みがあんねん」

―どうしたん?

「パパ最近笑ってくれへんねん」


悩んでたのか。

妻たちは、僕が次女に冷たくなったと一瞬解釈したらしいが、違う。
次女はパパにシンプルにウケてないことに悩んでいた。

まぁ、ある意味冷たいのかもしれない。

でもね、笑かそうとしてくるあざとさが見えてしまうと笑えないのよ。

僕も正直笑いたい。
「笑ってあげたい」「笑ってやりたい」とは思わない。それは愛想笑いであり上下関係を前提とした態度だから。
そうじゃなくて、むしろ僕も笑かせる能力には乏しく、言わば笑いにおいて次女と対等関係にある。僕の方が下とさえ言える。

だから次女のボケに本当は笑いたい。でも笑えない。笑かそうという魂胆が輪郭をくっきりと覗かせているから。

だからさ、「今から笑かします」て言って本当に笑かしてくれる芸人さんたちは、やはり一流なんだな。


「パパが笑ってくれへん」

これだけ聞くと「積み木くずし」の始まりの雰囲気が漂うが違う。内実は、思春期半歩手前の次女がふざけ倒してこちらの出方を伺っている。


笑うべきか笑わないべきか、


僕は笑わない。
次女にも長女にも、笑いには厳しくなって欲しい。


でもジャミラは面白いから続けてよ。