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数えきれないほどの中小企業に感謝

30年前ならあったのかなぁ?とは思うが、2020年代の日用品で「日本製」かどうかは、あまり強いアドバンテージではないんじゃないか。「Japan as No.1」と言われた時代は、日本製であることが最強のセールスポイントであったかもしれないし、一方で中国製や東南アジア製は、低賃金の現地工場で製造された安物の代名詞であったかもしれない。しかしそれも今は昔。20年以上実質賃金の変わらない日本とは違い、中国をはじめとする他のアジア諸国は経済発展が目覚ましい。そして日本以外の製品が特段劣るということはなく、コストパフォーマンスを重視する多くの人にとっては「日本製」かそうでないかはあまり関係がないことと思う。

「日本製」の質の良さ・安心感が少なからず今でもあることは理解している。しかしそんな時代でもないのだ。途上国の現地生産だから質が劣るとか安いとか、必ずしもそういう事ではなく、いや、製品のジャンルによってはそういうことかも知れないが、でも私は、「水筒などの細長い容器を洗う用のスポンジ」にそこまで質の高さを求めていない。「水筒などの細長い容器を洗う用のスポンジ」は、しっかり水筒の底に届いて、ある程度の茶渋やカビがこすれれば十分なのである。すぐに壊れたりするわけでなければ、「日本製」であろうが「中国製」であろうが「ベトナム製」であろうが関係がない。

それなのに、2年ほど前に買った「水筒などの細長い容器を洗う用のスポンジ」には、「日本製」というシールがわざわざ持ち手部分に貼られている。

外包装の隅っこに小さく書かれているのは普通である。しかし外包装を捨てて実際に使い始めてから2年以上も「どこ製」かがまだ分かるぐらいに強調する必要は、普通はない。シールだから剥がせばいいのだが、わざわざ剝がす必要もないから剥がしていない。結果、2年以上「どこ製」かを毎日認識させてくれている。「日本製」かを。

どの辺が「日本製」かを考察することは容易である。まず柄の長さをスライドボタンで調整できる。そしてスポンジがやや硬めの素材である。容量の大きな水筒の底にもしっかり届き、硬めであることで底が遠くてもより少ない力でこすって茶渋を落とすことができる。あと強いて言えば、プラスチックの質がなんというか、しっかりしている。化学製品としてのプラスチックに、素材の良しも悪しもないかも知れないが。しなり感が脆弱ではなく、「ちゃっちさ」がなく、すぐに割れなさそう、「あぁ、しっかりしているな」—握った感じがそう感じさせてくれる。

こうしてみると、「日本製」には日本製たる理由があるのかも知れない。その上で「日本製」シールが貼られているのだから、もう「日本製」と認識せざるを得ない。日本製の良さはやはり製品の細やかな質にあるのは認識しているが、それでも2020年代にわざわざ「日本製」シールを貼って強調することはないだろう。

年配の方々を購買層に想定しているのか?それならわざわざシールで強調する理由も分からなくはない。日本製好きそうでしょ?なんか。
偏見ですか。

それか、製品の出来に自信がなかったのか?それも理由として分からなくはない。「スライド式にしたけど」「スポンジ硬めにしてみたけど」「プラスチックの握り感にこだわったけど」そんな企業努力にもかかわらず、なんだか完成品に自信が持てなかった。だからせめて「日本で作りましたよ」と。

その場合、強調したい気持ちに理解はするが共感はしない。なぜなら、2020年代に大したセールスポイントにならない「日本製」を強調しすぎるのは、「出来に自信がありません」を自己申告しているに他ならず、裏腹に小手先の販売戦略と見なされ、結果的に企業イメージを落とす恐れがあるからである。


でもね、そんな心配も杞憂ですよ。

「水筒などの細長い容器を洗う用のスポンジ」という以外に正式名称がすぐに出てこない製品だ。こういった名前があるようで無いようであるような日用品を作っている中小企業は日本に数えきれないほどあるから、簡単に私のような一般消費者からのイメージを落とすことはないのです。

むしろしっかりした製品を提供してくれてありがとう


ーそんな気持ちです。