手が冷たい人は心があったかい?もういいよ。
こんなやりとりをしたことはあるだろうか?
「手が冷たい人は心が温かいんだよ」って。
おしゃれだ。素敵だ。気遣いと思い遣りと、愛が感じられる。
根拠は一切ないこの一言で、すべてが優しさに包まれる、
そんな気がする。
病院などでは、特にリハビリテーション専門職の間では、少なくとも僕世代ではよく聞いたものだ。
リハビリでは直に患者さんの手に触れる機会が多い。
リハビリの対象者となる高齢患者さんの多くは、手が冷たい。
高齢であり筋肉量が少なく代謝機能が低下し手が温まりにくい。
何らかの疾患を抱え入院しており、高齢者は若年者に比べ循環器系の問題があり、全体的に四肢末梢が冷たい
―――総じて、入院患者さんは手が冷たいことが多い。
リハビリでは触ることひとつひとつが全て評価になる。
手に触れて
「指先冷たいですねぇ…」
と言った後にフォローの一言がほしい。
医療従事者として患者さんの身体の状態に対する感想を言ったからには、なぜそう言ったのかの理由の説明やどんなデメリットかだけじゃなくどうすればいいか、今後の展望も含めて伝えるか、もしくは何でもいいからその後のフォローの一言が重要。
何か言わないと…
何か言わないと…
挙句の果てに絞り出されるのが
「手が冷たい人は心があったかいって言いますからねぇ」
なんじゃそれ
昔はよく言ったんです。
10年以上前は。
でも今も言うのか?
そういえば5年前後のセラピストが言っているのを聞く。
そして10年超えたセラピストは、
5年前後が言っているの聞いて、
(なんじゃそれ)
と思う。
もしかして「手が冷たい人は心があったかいって言いますからねぇ」は5年前後の医療従事者が言う、ずっと流行りなのか?
10年前に自分が言っていた時も、10年前に10年超だった先輩らが僕らの「手が冷たい人は心があったかいって言いますからねぇ」と言っているのを聞いて
(なんじゃそれ)
って思ってたのか?
「手が冷たい人は心があったかいって言いますからねぇ」
はちょうど5年前後のセラピストが言うように、永遠ループされているのか?
逆もまた然り。
「手が冷たい人は心があったかいって言いますからねぇ」
って言った後に、
「僕の手、あったかいでしょ?心が冷たいからですよ」
なんじゃそら
自虐で自分を下げることで、行き場を失った患者さんの手の冷たさに何とか意味を持たせようとする試み。
もういい。
もういいよ。
やめよう。
少なくとも10年超えたら言うのはやめよう。
5年前後のセラピストで流行らせておけばいい。
10年超えたセラピストは、
もっと、
もっとなんかこう、
もっとウィットに富んだことを言おう。
出自は主に欧州の握手文化に由来するのだとか。
せっかくのヨーロピアンの洒落っ気が陳腐にならないよう願う。