瞬発力では敵わない。けど瞬発力の人が正解なわけでもない。
瞬発力がないんです。身体機能の、ではなく、コミュニケーションや行動の瞬発力のことなんですが。
ある特定のこと、好きなことや仕事で反復して行っていることについては、僕だって瞬発的に反応できるかもしれない。しかしあくまで特定のことに過ぎない。
そういう意味では、会話よりも文章で書く方が僕には向いている。僕が考えている間に会話はどんどん進んでいく。会話を主体としたお笑いには向いていない。「書く方が向いている」と言ったけど、それは「喋りに比べれば」ということだけであって、グループLINEなんかでも、早いやつらの連投に遅れて数ターン前の言葉が宙に浮いてしまうことが多い。良く言えば「間を大事にする」、悪く言えば「瞬発力がない」。
双方向のやりとりには向いていない型のホモ・サピエンスかも知れない。ホモ・サピエンスはコミュニケーションを武器に文明を築いてきたはずなのに。ホモ・サピエンス(亜型)かも知れない。
とかくホモ・サピエンス(亜型)としては、双方向のやり取りを何往復も行うコミュニケーションよりは、こうやって一方向的に思ったことを言うだけ言ってそれで満足。返信は想定していないから返信が来たら狼狽し、また時間をかけて冗長的に一方向に発砲する、それで満足。発することにエネルギーを9割5分使うので、相手がクイックスマッシュかましてきたら対応できない。コミュニケーションは複数で協同的に成立させるダブルダッチのようなものだが、クイックスマッシュで拍車がかかったリズムに僕が狼狽することでダブルダッチは失敗に終わる。こうきたらこう!こうきたらこう!速度は指数関数的に上がりお互いそれを受け入れながらさらにそれの上を行き、上げ続けるのだけど決して競争ではなく共創であり協奏なのだ。
でもこれには疑問符が付く。相手の能力の高さを前提としている時点で他者排斥である。瞬発力を前提としたコミュニケーションは他者排斥である、というのは言い過ぎだけど、瞬発力の高さがコミュニケーションの前提になるのは持続しない場合もあると思うのですよ。
だからね、すぐに返球ができなくてあわわあわわとしてしまうとね、どうもあわわあわわしている自分が間違いのように感じてしまうもんなんだけど、それは見かけ上の話。クイックスマッシュ打ちまくるのは競争の時だけでいい。協奏のときはもうちょっと柔らかくトス上げてくれてもいいんじゃない?って。あわわあわわと狼狽してしまう方が、実はその場では正解なんじゃないかとも思うわけです。
おあとがよろしいようで。