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ヤンヤンつけボー®を丁度食べきりたい

ヤンヤンつけボーは子どもに愛されるロングセラー。
内容が少々リッチだから駄菓子とは呼び難い。
リッチとは言ったものの、パッケージ外観の縦の長さを盲信していざチョコを食べ進めていくと、チョコの穴だけ浅く終わっている事に気付き、切ない気持ちになる。
とは言え外観のカラフルさと自分で味付けをする特別感、遊び心には、子どもなりにリッチなお菓子であったことは間違いなく、値段も値段だから、いつもすぐに手の届く存在ではなかった。

本題はここからだ。

ヤンヤンつけボーは丁度食べきるのが難しい。
ほぼ不可能だ。

チョコが嬉しすぎて、序盤からスティックに付け過ぎるあまり、スティックがまだ数本残った状態でチョコだけ先にフィニッシュする。チョコの穴が浅く、チョコが少ないことも影響している。スティック野菜にマヨネーズをディップし過ぎてマヨネーズが先になくなり、残った野菜の食べ方に困るのに似ている。

チョコを付けるのを序盤から自制し過ぎると、チョコとトッピングが余る。でもそれに関しては嬉しい悲鳴ではある。チョコが残るのは贅沢だ。子ども界隈において味のないスティックだけ先にフィニッシュしチョコを残すことは、大相撲本場所で三賞(技能賞・敢闘賞・殊勲賞)の受賞に値するぐらいの難易度だ。それをやってのけたあかつきには、人差し指でチョコを鬼すくいする権利が与えられる。「鬼すくい」とは、「思いっきりすくう」ことだ。僕が今考えた。子どもの指の長さによっては、人差し指ではチョコの穴の底まで届かないことがある。そんな子どもは中指で鬼すくいする。人差し指、中指、いずれにしても不良になった気分だ。小学校低学年やそこらにして、鬼すくいすることであたかも不良になったようなスリルを味わえる。

ここまででチョコへの言及が大半を占めたが、本当の問題はトッピングであることは、ヤンヤンつけボーの経験者や製造責任者なら分かるだろう。製造元のmeijiさんでも、もはや確信犯だろう。多くの賛否を受ける中で、5周以上した上で敢えてトッピングの問題を残していると思われる。
トッピングは贅沢品以外の何者でもない。別になくたっていい。チョコだけで成立しうるのがヤンヤンつけボー®だ。でもそこに敢えてトッピングを残している。やはり子どもにとって、自分で作る特別感には、ただのお菓子を超えたエンタメ要素が含まれている。meijiさんはそんな子どもの気持ちを大切にしたいのだろうと推測する。スティックとチョコによるただの茶系統の塊に、淡いカラフルなトッピングが加わると、視覚的な美味しさ3倍増しになる。
ただそのトッピングが厄介だ。チョコ以上に残る。仮にスティックとチョコを丁度食べきったとて、トッピングは残る。スティックとチョコの量に対して多すぎる。ヤンヤンつけボーにおいてトッピングだけ残ったらどうすればいい?ポテトチップスの残りを最後にトントンして口に注ぐようにするしかない。淡いカラフルな顆粒状の砂糖を単体で味わうしかなくなる。ヤンヤンつけボーのはらむ最大の問題はこのトッピングだ。
ただ、meijiさんの、子どもの遊び心を大切にする気持ちが勝っているため、たとえ最後にトッピングだけ残ろうと、これからもトッピングはヤンヤンつけボーから退場させられることはないんだと思う。




先日、次女がスティック・チョコ・トッピングを丁度食べきった。