「多少の雨の日も傘を差して歩ける」ぐらいの精神力
今の時代に必要とされる精神力は、自分が子どもの時に必要とされたそれの量とは変わってきている。根性論は昔からあって、バケツを持って廊下に立たせるとか、押入れに閉じ込めるとか、部活中に水を飲むなとか。今の感覚では明らかにおかしいものから、前まではすんなり受け入れていた気もするけど今では違和感あるなぁ、といったものまで、グラデーションになっている。
小中学生の時は徒歩通学で、もちろん雨の日は傘を差して歩いた。ランドセルが濡れにくい傘の差し方や水たまりのない場所を極力選んで歩くなど、いわば雨の日ならではの動き方のスキルが小さい頃はへたくそ故に、靴が濡れるのは仕方のないことだしあまり気にしてなかった。
しかし今では車で送迎することも選択肢に入る。
雨の日は、バス通学か親が送るか祖父母に送ってもらうか。いずれも、傘で多少濡れながらでも歩くという経験は得られない。教科書とノートが濡れてしわしわになる、判読不能になる、乾いてページ同士が引っ付く、そんな経験も得られない。いや、そんな経験は別になくてもいいんだけど。
なにせ、傘差して歩くという経験は、別にそれほど根性論を巻き起こす程度のことではないし、それでいてできれば大人になっても避けたいなと思う日常の1コマである。やろうと思えばできるけどやりたくはない、絶妙の努力がいる行為だと考えている。
子どもたちは雨の日の徒歩を毛嫌いする。道端の溝の流れを長靴でせき止めるという遊びは知らない。傘を裏返したり傘を反対にして水貯めて友達のTシャツの背中に流し込むとか、全く知らないだろう。
そんな遊びの経験と絶妙の努力の必要性を兼ね備えた、「多少の雨の日も傘を差して歩ける」ぐらいの精神力は、あっても困らないんじゃないかと思うんやけど。
もはやそれもいにしえの考え方なんかな。