マスクをパスパス
誰がマスクを着けていようがいまいが、もう特に気にしない。職場では規定で着けるが、普段は着けない。着けたくなる程の人混みには行かないし、そんなに人がたくさんいる地域ではない。日本中どこにでもある過疎の町だ。
しかし過疎の町でも一定数マスクをパスパスする人はいる。パスパスする人の老若男女度合いは問わない。一定数パスパスする人はいる。
パスパスするとは、装着しているマスクを指でつまんで弾くことだ。上か下にずれたマスクをただ元の位置に整えるのとは違う。パスパスする人は、もうそれはそれ自体特に意味はない。癖か手持ち無沙汰かよく分かってなくてやっているようなものだ。だから結果、位置が整わないことの方が多い。位置を整えたいならそんなつまんで弾くなどしない。弾いた時点で着地点が不確実になるに決まっている。整えたい人はそおっと直す。
パスパスする人は何回もやる。音を楽しんでいるふしがある。だいたい2連発が相場だろうか。そして別に整えたい訳ではないから着地点がどこになろうが気にしていない。正しい着け方では、プリーツを伸ばしきって鼻と顎がすっぽり覆われなければならない。そこからパスパスが始まると、鼻が露出したり顎だけマスクになったり、表面が毛羽立ってきたり耳ゴムが捻れて表裏ひっくり返ったり、それはそれはもうマスクの意味もていも心技体もなさなくなる。というかパスパスする人はマスクの正しさとかをそもそも重要と感じていないから、スタートポジションから既に鼻露出・顎マスク・毛羽立ち捻れマスクだ。
パスパスされきったマスクが、雨で破れてぐしょぐしょになったエロ本のごとく、道端に捨てられている。
僕はあぁ…と思いながら心で合掌する。