ラベリングを超える
昨日から気になってたこと。
私の中に、ただいまの気分をラベリングする奴がいるなあって。
まあ、そいつは左脳ってやつなんだドグけどね。(*´Д`)
左脳は、すぐにいろいろなものをラベリングする。
感情に名前をつけて、混沌とした状態を
「それはこうだ」と名前をつける。
そうするとドグね、
なんともいえないボンヤリした状態に「寂しい」がつくと寂しく、
「悲しい」がつくと悲しくなるんだドグ。
それとは逆に右脳は、
瞬間、瞬間の記憶しかなく、前後のつながりを見つけられない。
右脳には「今ここ」しかないので、過去という感覚がなく、感情にラベリングができない。一瞬前が記憶できないんだドグ。
このエッセイは、脳卒中で倒れ、左脳の大量出血により言語野が一度破壊された、
脳科学者ジル・ボルト・テイラーの著書
『奇跡の脳』(新潮文庫)を元に書いていますドグ。(*´Д`)
左脳の
方向定位連合野
が正常に働かないと、肉体の境界の知覚が
皮膚を超えてしまう。
すると、意識は
まるで水のように、体の外へ流れ出してしまうんだドグって。
そこへ訪れるのは、「肉体的な存在として経験できる最高の喜びよりもなお快く、すばらしい至福の時」なのだそう。
だけどその瞬間、「わたし」はなくなってしまう。
「わたし」と「世界」は、分かつことができず、
一つになってしまう。
そう、ラベリングこそが
わたしがわたしの世界を定義し続けた、
わたしの、「ものの見方」であったから。
ドグ子は今、自分が今まで見てきた世界の、
定義付けを変えたいと思っているんだドグ。(●´ω`●)
わたしのラベリングは、とても悲観的で狭く、つまらない意識に囚われやすいから。
もっと、素晴らしい世界を見たい。
新しい世界を発見したい。
そう思った時に出会ったのが
ユーミンなんだドグ。
今日もテレビから流れてきた曲が、「ああ、これはユーミンだ!!」と記憶の底から蘇るような曲調をしていて。
その歌はこう言ったんだドグ。(*´Д`)
So, You don't have to wally,wally.
守ってあげたい
あなたを苦しめるすべてのことから
'Cause I love you
(松任谷由実『守ってあげたい』)
なんか、震えたドグ。(*´Д`)
あなたを苦しめるすべてのものから守ってあげたい。
こんな言葉が出てくるなんて……。
そしてドグ子は今、ユーミンの言葉で脳みそを上書きしたいんだドグ。
20代の頃、最も衝撃を受けたのは田口ランディさんの『馬鹿な男ほど愛おしい』(晶文社)というエッセイ集だったドグ。
この頃、ドグ子は東京でお笑い芸人を目指していて、闇雲にタレント事務所なんぞに所属し、仕事はなく、相方とコントのネタを書いてアルバイトをして暮らしていたんだドグけど、
どうなるのかわからない日々に言いようのない焦りを感じていたんだドグ。
その時にランディさんの『恋するゾンビ』というエッセイを読み、
「したいしたいは、死体人」という言葉に衝撃を受けるんだドグ。
エッセイの中でランディさんは「ボランティアしたいと聞くと、ボランティア死体と聞こえる」と書いていて、「恋したい」が「恋死体」に聞こえ、街は死体で溢れているって書いてあったんだドグ。
ちょうどその頃、事務所のある原宿によくいたドグ子は、その原宿という街の死体の溢れ方が一瞬でそのエッセイにリンクするのを感じたんだドグよ。
それじゃあどうしたらいいのかという問いにランディさんは、「するって言えばいい」と、明確な答えを出していて。
先の死体は「ボランティアする」「恋する」と宣言した途端に、死体ではなく実態を伴った言葉に感じられ、今まさにドグ子のやっていた実態の伴わない感情のお笑いは、
一瞬でひっくり返ったんだドグ。
焦りは、人から期待した
評価を求める心から来ていたんだドグ。
でもこのエッセイを読んだ瞬間に、
「関係ないな」と思ったんだドグ。
関係ない。やるだけだって。
その瞬間、ものすごく腹が座ったのを感じたんだドグね。
そこからすごく、楽だった。
だってやるだけなんだもの。
自分をラベリングする「人の評価」は消えて、
私だけが私の素晴らしさを評価できることを知ったんだドグ。
お笑いコンビを解散して、コラムニストとしてデビューした時にまた、今度は人間ができていないのに評価されたことによって、逆にまた評価に苦しむはめにあったけど……でも、私はラベリングを超えてゆくと決めたんだドグ。
なんでもできるから、土偶にもなっちゃう。
評価なんて関係ないから。
そしてできることなら、
美しい感情をインストールして生きたい。
ユーミンの歌う
あの世界のように
毎日、楽しい楽しい言ってると、暗示にかかって本当に楽しくなるから!!あなたのサポートのおかげで、世界はしあわせになるドグ~~~!!