うぬうぬと生きる。
うぬうぬと生きる。
5年前のことですが、夫が謎の腹痛によって1週間ほどの検査入院を
したのですが。その間、入院中の夫に「オレンジページ」と
「レタスクラブ」を買い与え、きっと暇であろうから
手塚治虫の「ブッダ」全巻をお見舞いに持って行ったところ、
夫は手塚治虫全巻を読み終えてこう言ったのでした。
「手塚治虫のブッダは貧しくても我慢して生きれば死ぬときは貧乏人は幸せで
金持ちは不幸になるみたいなことが描いてあるばってよ、
死ぬのに幸せも不幸もわー(俺)、ねえと思うんず。
もっとうぬうぬと生きねばまねって思うんず。」
ようするに、夫は前のめりになって生きなければダメだと語ったわけです。
「ケンさん、ランディさんが言ってたけどブッダは、「情熱を持って生きろ!」って
言ったらしいよ。それって、「うぬうぬとして生きろ!」ってことなんじゃないかなあ?」
ケンさんはよく、私が新聞のネタで「アレも書きたい、コレも書きたい!」と
うぬうぬとしているのを見ると、「うぬうぬとしてらなあ~」と
ニコニコしながら褒めてくれます。
幸・不幸はお金のあるなしに関わらず、
うぬうぬと前のめりになっているか、なっていないかで
決まるのだとケンさんは言います。
そしてまた、前のめりになっている人間にとっては、
他者の評価というものも関係なくなってしまうもので。
もう、うぬうぬとして仕方がないからうぬうぬとしているわけなのです。
「うぬうぬとするのに一番必要なのは、他を叱りつけてでも自分が正しいと思う
パワーなんだねん。
うちのバッチャだのって、(わが家のおばあちゃんなんていうのは、)
ジッチャこと叱りつけてうぬうぬと生きて、
たんげ(相当)、しあわせだと思うや?」
ケンさんが言いました。
まあ、世の中の人間がみんな怒ってばかりで
前のめりに生きていたらけっこう、面倒くさいんですけどね。
しかし、「面倒くさい」と思った瞬間に負けるのかもしれません。
「自分が譲ればいい」と思って思考を閉ざすことは簡単なことです。
それは、「私が間違っていて、あなたは正しい」と
無理矢理脳に刷り込むことでぶつかり合いを回避する手段だからです。
なかなかできないけども、できないことではありません。
しかし、それでストレスを貯め込まないなんていうのは無理があることでしょう。
人間なんてみんな、自分が正しいと思っているんですから
いっそのこと「全部が正しい」ということを認めたらどうだろうかと思うのです。
例えば、闘いをテーマにした漫画では勝つことが正しさになり、
また正しい主人公は相手に何度敗れても、最後には強敵を倒すように
なっています。
面白さをテーマにした漫画では、「卑怯な手段を使っても勝った方が強い」
ということになりますので、「卑怯でも笑いを取るのが正しい」ということになります。そして最近の少年漫画では出てきた当初は悪の化身みたいだったライバルが、
いつの間にか仲間になっていることも多いのです。
そんな風に、正しいか正しくないかは、都合がいいか都合が良くないかという、
非常に小さなことなのだと気付けば、楽なんじゃないかと思うんです。
何も、正しいなんていう小さなことに振り回される必要はないわけです。
私たちは、正しいということが非常に大きな力を持って、
正しくないということがものすごい暴力的な力を持って、
自分に襲いかかるように感じるかもしれませんが、
本当のことをいえば、人の数だけ正しさがあるということは、
その価値なんていうのは誰しもが持っている百均のタッパーみたいに
別段価値のないものなんだと思うのです。
時代が変われば正しさなんていうものは簡単に引っ繰り返るものですし。
正しさなんて実はタッパーで、単なる個性と呼ぶべきものだと
思うんです。
わが家では4歳の子どもが日曜日に1週間分の甘えたさを全面に押し出して、
私と離れれば泣いて怒り、トイレに黙って行ったからといって泣いて怒り、
眠っていて眼が覚めて私がいなかったからと泣いて怒っているのですが。
流石にそれをやられると、
「いい加減にして! お母さんは何をやっても怒られなきゃいけないの?
お母さんは晩ご飯の支度だってしなきゃいけないし、
お洗濯物だってたたまなきゃいけないのに、
あなたがくっついて泣いてばかりいたら何もできないよ!
何をやっても怒られるんなら、もう嫌だ。出て行く!」
という風に、何もわからずただ甘えたいだけの子どもを、
理論で叱ってしまいたくなります。
子どもも自分の甘えたさがそのような行動になっているとは
気付かずに泣いて怒っている。
うぬうぬと泣いて、怒っている。
それに気付いた時に、
「ああ、なんだ。しあわせなんだなあ……この子は。」
と思ったのです。
もう、人の都合とかも考えなくて済むぐらいに
全面に甘えを出して泣いているんだなあ……と。
うちのバッチャも、全面に「自分が正しい」という甘えを出して
うぬうぬと生きているんだ……と思ったのです。
子どもは、保育園が始まると驚くくらいにシャキーンとし、
規律正しい普段の生活に戻っていくのですが。
真面目にやっている分、がまんもしているのでしょう。
そういうのが、たまに爆発するように甘えとなって出てくるのでしょう。
子どもは大人をよく観察しているので、
「甘えさせてくれる大人」にしか、そんな風には振る舞わないものです。
わが家はみんな、うぬうぬと生きているんだなあと思うのです。
そして、自分も子どもにわがままを言った時には、
たくさん甘えさせてもらっていることに気がついて。
「しあわせなんだなあ……」と思えてくるのです。
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