好きは『どうでもいい』の真逆にあるもの。※シン・エヴァ ネタバレ多少あり!!
シン・エヴァンゲリオン、すごく良かったんだドグ。
庵野秀明監督のNHKのプロフェッショナル仕事の流儀を観て、
さらにその感想ドグ。(*´Д`)
シン・エヴァンゲリオンを最初の方から観て誰もが驚いたのは、
農業する綾波レイの姿だったのではないドグかな?(*´Д`)
ドグ子もすんごい、驚いたドグ。
「ジ、ジブリ!?」
って心のなかで叫んだドグね。
綾波レイは作られたものなので、前の綾波レイの人格を受け継いでいない。だけどその、生まれたばかりの人間ではない綾波レイという雛形が、いつも私たちを惹き付ける。
今回の綾波レイは、最もしあわせな綾波レイだったのではないだろうか。
弾けて消えるその瞬間まで、私は綾波レイの幸福というものをシンジたちがたどり着いた村で感じていた。
それで、いつも救われないのがシンジ君だけど、今回。初めてQであそこまで追い込まれたシンジ君の状況の謎が解ける。すべてが伏線だったのだと。
生物的にも成長しないセカンドチルドレンのアスカ、シンジ君。だけど、今回は救いの物語だった。
○○○が生きていた!!
これって、とんでもなく幸福な、すごいことだと思うんだけど。その他にも、ケンケン。
アスカがケンケンと呼ぶ人物を、(映画観た人はわかるよね)好意的に見ていたこと。
ここでタイトルに持ってきた、「好きはどうでもいいの真逆にあるもの」なんだドグけど、
好きって、報われなければ残酷じゃないドグか。エヴァンゲリオンってトラウマ背負った子どもたちが闘う過酷な物語でもあるけれど、14歳の少年少女たちの、男女を意識する年齢が、いつも描かれてるわけで。
シンジ君と誰が付き合うのかって、私の中ではものすごく大事だったわけドグ。綾波を選んだらアスカはどうなるの? アスカを選んだら綾波は?
って。
一番複雑なのは、サードインパクトどころじゃなくてそっちだと思う。
好きな人を好きでいてはいけなくなることって、その人の中でセカンドインパクトが起こるようなものだと思うんだドグ。もう、人口は激減するし、海真っ赤ドグよ。
そこを、ケンケンという選択肢というか。
尊敬できる人の登場って、ものすごい救済だったと思うんだドグ。
「アスカはアスカだ。それだけで十分さ」
あと、ミサトさんに子どもが生まれてた。その子にシンジ君が会うとか、今回のエヴァンゲリオンは本当に、救済と救出の物語だと思うんだドグ。ミサトさんの愛に、本当に泣いたドグ。
エヴァンゲリオンの不思議さって、心の物語が現実の驚異・強敵、闘いとなって現れることだと思うんだドグけど、シンジ君の父、碇ゲンドウとの親子対決も見物だった。
エヴァ初号機同士の闘い。乗ってるのはシンジ君と、父ゲンドウ。初めて、親子がぶつかり合えたシーンなんじゃないかな? ゲンドウの根幹にあるのもまた、シンジの母・ユイへの思い。
ユイ、ユイ、ユイ!!
こんな激しく辛い「スキ」を、私たちはどう超えていけばいいのだ、と。
それでも今回の物語はそこを超えていく。必ず迎えに行くよ、という言葉。可能性しかない存在のマリ。
声優の坂本真綾さんの言葉が、全てを語っているかのよう。
「マリは根本的に楽天家で、くよくよ悩んだりはしません。もしかしたら悩みを抱えているのかもしれないけれど、外に出すタイプではないし、いつも楽しそうにしているところが、シンジをはじめとした他のキャラとの対比になっていると思うんです。
裏表はなく、全部表みたいな人として。複雑なニュアンスをなるべく入れずに演じました。
どんな切羽詰まったようなシーンでも、マリは物事が良い方向に向かっていると信じて、嬉しく思っているという、喜びのニュアンスを声に込めています。ひたすらポジティブに、悲壮感が出ないように心がけました。」
(シン・エヴァンゲリオン劇場版パンフレットより)
エヴァ仲間の金井枢鳴君と話し合ったんだドグけど、庵野監督の奥さんである安野モヨコさんが、マリそっくりだったって。
プロフェッショナル仕事の流儀を観たら、本当に、そこに救いとしての彼女がいて。エヴァンゲリオンを作る上で自殺まで考えた庵野監督を支え続けた、
同じ創作者としての安野モヨコさんは、存在が既に強いメッセージ性を持っていました。
この物語が救いの物語になったことに、
感謝した次第ドグ〜!(*´Д`)
シン・エヴァンゲリオンまだ観ていない人は、Q観て止まってる人は特に!
映画館で観てみてね。戦闘シーンも、最高ですから。
ドグドグ〜!