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beyond2024 / 愛と知性がこんこんと湧く

 先週末にソーシャルカンファレンスbeyond2024にブース出展社として参加をしました。4,5日して、体験に言葉が追いついて来た気がします。beyond自体は何度も参加してきたのですが、今年のbeyondは特別に響くものがあったように思います。
 振り返りがてら体験に言葉を与えてみようと試みるので、近しい状況の方、つまり何かがあの時あの場所で自分の内側とあのセクターに起こったぞという感覚があって、そこに言葉が追いついていない感じがする方は立ち寄っていって欲しいものです。

Day1のSocial Coachingブースメンバー!なんか微広角ですね

 ちなみに、私の立場としては、talikiグループのhal(株)で代表取締役を務めており社会起業家に特化したコーチングプラットフォーム「Social Coaching」を運営しております。
 人や組織のこころの領域に対して張り切っている人間です。課題設定として起業家のメンタルヘルス問題はゆゆしくも面白いものだと考えており、さらにはプレイヤーのメンタルモデル(信念や思い込み)がインパクトにとびきり絡んでいるという仮説のもとにbeyondに参加しておりました。

 今回のテーマ「インパクトを再考する」は個人的にミラクルフィットなテーマでした。私たちの取り組むコーチング領域というのはどこまでいっても私的・プライベートな営みです。究極的には、わたし/わたしたちにとって幸福や自由、平和、公正、持続可能性とは何かを探究する営為です。
 インパクトとは究極的には定量化・言語化できないであろうと思ってきましたし、もっと正確に言うならば「定量化・計測可能な何か」を社会的インパクトとして定義できたとしても、それより上位には数字や言語の表現による限界を超えた美しい祈りがあると信じていました。
 また、「What brings you to ほげほげ?」という英語圏のコーチングでよく使う表現があります。「Why?」ではなく「What?」であり、「なぜやるの?」ではなく「何があなたがそこに向かわせるの?」なんです。
 この問いの答えにインパクトが来ることはやっぱりあり得ないのではないか。仮にインパクトと答える人がいたとして、その表現はあまりに曖昧模糊としていて、その人とその愛する人たちの豊かさをちっとも表現できていないんじゃないか。このあたりは最終セッションで確信することになりました。
 つまり「インパクトを再考する」と自ずと、わたし/わたしたちの幸いというものを考えざるを得ないはずで、コーチングという領域はその問いとの噛み合わせが抜群にいいはずだと思って参加し、やはり多分そうなんだろうと確信するに至りました。


最終セッションの様子 / 後方から参加したので、会場のムードを感じやすかった

 最終セッションである「社会課題解決の先の世界、誰もが生まれてきてよかったと思える世界へ」はまさにテーマである「インパクトの再考」を体現していたように思えます。僕にとっては、あのセッションが最高でした。
 ぶっちゃけすんごくふわっとしたセッションでしたよね。たぶん文字に起こしたものを当日アレを観ていない人が読んでもあまり面白くないと思う。これ結構コーチングやセラピーでも頻発します。コーチィー(コーチングを受ける人)とコーチにとっては印象的で何年経っても折に触れて思い出したくなるような神回が、文字起こしを他人に読ませるとまあ退屈であったりする。
 幸せに関する手触りのある言葉は、往々にして他者から観ると陳腐でつまらない。幸せというのは往々にして陳腐で刺激の少ない表現をされ、いざ言葉になると大したことないんです。大したことない何かを味わえている人がこの世界にあまりに少ないから問題なだけで。
 幸せは言葉の限界の先にある無限に広がる何かで、だから言葉を与えて圧縮を試みると途端に退屈になる。でもそれでいいんです、セッションの当事者と聴き手の僕たちの中にどんな景色が広がっていたのかが大事なはずです。今、ここに何が息づいているかこそがたった一つの真実なはずです。唯心論者のコナン君みたいになっちゃいましたね。

 その最終セッションを経て上のようなツイートをしたわけですが、ここで言う「可能性」、当日の言葉で言うと「希望」は、概して有りがちなものだろうということです。
 だから、改めて、人の夢やビジョンを笑ったり腐したりするのはやめにしなきゃいけないと思いました。気が付いたら人の夢を評価してしまう。それをすると、自分の夢も評価してしまう。いい夢と悪い夢に別れてしまった、のびのびとして穏やかで退屈な夢に居場所がなくなってしまう。「インパクト評価」がそんな世界をつくってしまう危険性があるのかもしれない。それは思い過ごしですか?
 ちょっと言いすぎた気がしてきました。起業/経営が手段であるように、インパクト評価やインパクトという概念もまた手段に過ぎないでしょうということを言いたいのです。やはり、幸せを考えると言葉は陳腐になりやすい。


ブース出展の様子

 Social Coachingとしてブース出展もさせていただき、多様な方と交流させていただきましたが、そう言えば、誰も僕の話すことを笑ったり腐したりしなかったなあ。
 生きてるとまだまだいるんですよ、「社会起業家特化って市場ちっちゃくない?」的な相談してもないし明らかに100万回は考えたであろう観点に、MBA気取りの悪意をぶつけてくる人って。満たされなや傷つきは百花繚乱に衣替えをしてぶつかってきます。
 おかしいなあ、僕はどんな人が来ても、その人の夢やアイディアをこき下ろすことのないように。疑うことより信じることを起点にして、肯定の上に更なる創発的なアイディア生成を意図しながら関わるようにしていますよ。それでも服を着た悪意が、悪意とまで言わずとも評価と、いまだに遭遇してしまう世界はあまりに採算が悪いなって思うことがあります。でも、beyondにはおらんかったなあ。

 場というのは、その場の起案者たちの祈りが反映されるものだと考えております。talikiが祈る世界はいつも愛と知性に溢れていて、まあ関係者だけになるとアルコールが加わったりしますが、そういう清濁合わせながらやっぱり美しい方を向いていきたいって人ばかりなんですよね。そういう酔狂な人たちが本気で場をつくると、ああなるんやなあ。

 2日目の懇親会で、COM-PJの最終ピッチにも登壇したJINENの波崎さんと少し話せました。そこでなんか、酔っててほとんど覚えていないんですけど、「halも近からず遠からずのカンファレンスやったらどうか」みたいな話がどちらからか忘れたけど出てきたんですね。その時、すこし泣きそうになったんです。幸いbeyond2日目は妹の結婚式に参列してからの参加で、四半期分の涙在庫が切れてたんで大丈夫でしたけど。

 懇親会の流れだと、3次会…いや4次会?かなんかでセキララカードを使って、neconoteの黛さんとkazamidoriの久保なお、ブイクックの工藤しゅうで赤裸々な対話をして遊んでいたんですけど、そこで「お互いを褒め合おう」みたいなのをやったんですね。
 そこで僕をうっすら8年ほど知っている工藤しゅうに「いつやめてもおかしくない体験してきたのに、辞めないのがすごい」みたいに言ってもらったんですね。わあ、たしかに。
 何についてのことかの確認は失念してしまったのですが、主に気分の波やうつ症状のことかと解釈したんですね。ここも記憶が曖昧なんですが(am3:00とか4:00とかの出来事ですから)、「辞める理由も辞めれるタイミングもいくらでもあった」とかなんとか。

 ここでbeyondという場に戻りたいのですが、あのような愛と知性がこんこんと湧く水場があったから続いているだろうと今は思うのです。
 アインシュタインが娘に当てた手紙に「we arrive at the conclusion that love is the most powerful force there is, because it has no limits.」と書いたという本当かどうか知らないですけど大好きな話があります。
 talikiの人たちが愛と知性というとき、もしかしたら知性というのは照れ隠しなのかもしれません。いや少なくとも、愛という最も力強い無限のエネルギーがあるから、知性に力が与えられるのかも。そういえば取締役のガクさんがtalikiジョインする前に検討してた新会社のビジョンも「愛が循環する世界」みたいな感じだった気がします。

 自分に引き戻します。セッションを伺っていて、「社会起業は絶望から始まる」という言葉もあったように、絶望と社会起業の関係性にはある程度のコンセンサスがあるように思いました。「そうでもないかな?」と思ってた時もあるのですが、やっぱりそうなんですかね?純な祈りがあるほど絶望は存在し得るのかもしれません。やっぱり社会起業家は祈る人なのでは。
 祈る人が完璧に絶望しないように、Social Coachingはじめhalは引き続き頑張って、ゆるんで、進んでいきたいと思うのでした。当日出会えなかった方、ぜひうちのコーチとの対話を取り入れてみてください。40人ほどコーチがいますが、漏れなくみんな絶望経験ありでございます笑

 つらつらとした文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

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