母の子離れを願う前に自分が親離れをしよう

この間母と旅行をする機会がありました。離婚したあと母についての嫌な気持ちを止めることができませんでした。しかし今回1週間ほど一緒にいて気持ちが少し変わりました。

わたしは自活を初めてから10年ほどたちますが、母は社会人になってからも干渉をしてきました。それは世間でよく言われているような毒親的なものとかあからさまにわたしに敵意をもったようなものではなかったので、わたしはそれを親の愛情とか、ちょっと迷惑くらいにとらえていました。でも、今思い返せばすごく嫌でした。また、母の過干渉のせいでわたしもどこかでいざとなれば親を頼ればいいと言う考えから抜け出せず、わたしにとってもいい方向に働いていませんでした。一度目の結婚〜離婚にかけて、親離れしたいわたしと、子離れしたくない母という関係があからさまに見えてきました。そして、そのことに気づくについて、わたしは自分の親の教養のなさとかふるまいとか、底にある昭和っぽい思考に幻滅していきました。

わたしが母の過干渉に気づかなかったのは、母自身がそれを過干渉だと思っていないからです。もともと母の思考のベースにあるのはわたしが心配ということで、それを「親ばか」という言葉でコーティングして肯定的にとらえているので、まったく悪気はありませんでした。だからわたしも母に強く言えませんでした。しかし、思い返せば母はわたしがもう成人して独立して家計を分けているのに、わたしに勝手にお金をくれようとしたり、親戚や母の友人にわたしの仕事についてしゃべったり、わたしの代わりに人に謝ったりお礼を言ったり、わたしの仕事を勝手に受注してきたりして、わたしの代わりにわたしを代弁するような行動をしていました。また、わからないくせに「こう考えているのではないか」とわたしの代わりに勝手にしゃべったりしていました。わからないことはわからないと言うか、わたしに聞かないとわからないと言うべきだし、わたしの代わりに仕事すべきじゃありません。また、ちょっと悩みを言うと勝手に本を買って送りつけたりしてきました。母は意図的にではありませんでしたが、わたしと母の区別がついていなかったし、わたしを家にしばりつけようとしていたのだと思います。
母は性格的には無邪気で子どものようです。だからわたしはメディアで見聞きする毒親とは違うと思って母に強くあたれませんでしたし、あたったあとすごく嫌な気持ちになりました。しかしわたしが思う母の無邪気さや子どもっぽさは、見捨てられ不安の裏返し、自分がまだ成熟していないことへの裏返しであるようにも感じます。結局は母自身の不安定さや自分の親に対する気持ちを解決しないと解決しない気がします。だからわたしは母がわたしにしたことの仕返しみたいに、いろんな自己啓発の本をおしつけたりしました。

でも、今回の旅行で感じたのは、結局はわたしも自分に理想の母になってほしいという押しつけをしていたのだなということでした。母の昭和っぽい考え方や家族を情でつなげようとする考え方ややり方は身に付いていて、変えようのないものだと思います。また、わたしのフェミニズム思考や家族も他人だと思って距離をとる考え方ややり方も変わらないと思います。それを矯正しようとしたのが間違いでした。わたしは今後は母が干渉してきて境界を犯す場合は容赦なく怒り、母に対しては干渉せずに不可侵でいきたいと思います。母は親だけど他人でわたしとは違う人間です。わたしもそのことにようやく気づけるようになったのだと思いました。これからは母に対して理想の親像をおしつけず、一人の人として接するように心がけたいです。それができたらわたしもようやく親離れができるのかなと感じています。

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