158歳の奇跡◇母と私の物語
今朝も私たち親子のブログ会議が始まります。
「あんた私は今日は何を描いたらええんぞね」と母が私に聞いてきます。「お母さん、今日のヘッダー画面はね、伊予市の下灘駅で夕日をバックにしたイケメンの後姿を描いて欲しいんよ」
「そんなん、難しすぎらい、それなら下灘の駅の写真をプリントしてきてや」
「お母さん、分かっとる、イラストが入る有効画面は四分の三じゃけんね」
毎日そんな風に会話しながら私たち親子の二人三脚ブログが作られていきます。
母は91歳、私は67歳、後期高齢者の母と前期高齢者の娘、二人が1年前に始めたの親子ブログの名前は「やまだのよもだブログ」です。
二人合わせて158歳の創作活動は、今、それぞれの生きがいでありライフワークになっています。
ブログを始めたことで母に奇跡が起こり、私たち親子はとても充実した楽しい毎日を過ごすことになりました。
高齢化社会の今、私たち親子が始めたSNSでのブログ発信はきっと多くの人たちの参考になるだろうと思って書くことにしました。
「人は幾つになっても、好きな事が見つかれば、何時からでも始めることが出来て、その思いが花開いた時、生きがいとなって人を前向きに元気にさせてくれる」
それは私たちが、僅かこの一年で経験したことです。
【きっかけは定年退職】
母に起こった奇跡は私の定年退職がきっかけでした。
「お母さん、私、会社を定年したら、少しずつでもフリー活動をして、これまで私が身に着けてきた、人に情報を伝えると言う能力を生かしたいと思とんよ」
「あんた、私はこれまで一生懸命に毎日一人で頑張ってきたんじゃけん、今までみたいに忙しいんは困るよ」
「ほじゃけん、じわじわしていくんよ、そんなに忙しい事は無いわい」
そう思って定年後の生活設計を立てていた私ですが、ちょうどコロナ禍とぶつかってしまって、フリー宣言もまともにできず、営業活動をすることもなく、自宅で悶々とした日々を過ごしていました。
定年してから一ヵ月は、人生の大片付けとばかりに、身の回りの物や家の中の整理をして、毎日掃除に明け暮れていました。どうにか掃除が終わって家の中が片付いたと思ったら、今度は私と母の小さなバトルが始まりました。
43年間毎日、マスメディアでアナウンサーや制作の仕事を続けてきた私は常に新しい事に接して、多くの人と出会い刺激が多い毎日を過ごしていましたが、自宅に籠って母と二人の生活は、創造性がほとんどなく、顔を合わせれば小さな喧嘩が絶えませんでした。
「あんたは、冷たいね、よその人には優しいのに、私には少しも優しいことない、何を言うても私が間違うとる言うて、心が癒されることが無いわい、あんたと話しよってもつまらんのよ」ある日、母がこう言って涙ぐみました。
私は、このままの日常を過ごしていたら、きっといつか爆発して、母と大喧嘩になってしまうだろうと不安になり、お互いのストレスを少しでも緩和するために、私の中にマグマのように湧き出てくる創作意欲を発信できる場所を作らなければと思っていました。
そこで、私が考えたのがSNSを使ったブログ発信でした。
【ブログ発信までの自主トレ】
60代の私にとってSNSは決して身近な存在ではありませんでした。仕事で情報をリサーチする時には使っていましたが、自分が発信するとなると全く違います。SNSの発信者としてはまったくの素人でした。
「あんた、SNSには強いんかな、ちゃんと分かっとるん、SNSは怖いんじゃないん」と母が心配して、私に聞いてきます。
「得意じゃないんよ、ちっとも分かってないと思う」私はそう答えながら「ほじゃけど、私はやるよ」と心に誓っていました。
私らしい何かを発信したいと言う強い気持ちがあったのです。しかし何をどのように発信すればいいのかは全く分かっていませんでした。そして厄介なことに、メディアで制作の仕事をしていた経験があるだけに、恥ずかしいブログは送り出せないと言うプライドがありました。
私は発信することを決めてからは、中身をどうするかを考え始めました。それがブログ発信をするちょうど3ヵ月前です。
「あんたどんなことを書くつもりなん」
「まだはっきり決めてないけど、毎日の生活を切り取ったようなエッセイと、お母さんの俳句を載せるつもりなんよ」と伝えると
母は「俳句を載せてくれるんかねー、それは嬉しいねー」と、笑顔になりました。
俳句が趣味で、俳句結社に入っている母は、40年以上も作句を続けています。そんな母にその時期に合ったものを詠んでもらえば、ブログに季節感が出ると考えたのです。
母は自分の句を紹介してもらえる場所が出来ると聞いて、ブログ発信には好感触でした。
母に同意は得たものの、私が書くメインの記事については何も決まっていませんでした。日記風のエッセイは入れたいけれど、どんなテーマでどんな風に書いていくのか、表現の仕方は多種多様にあるので、しばらく考える必要がありました。
私は初めて発信するブログだからこそ、私たち親子らしいブログスタイルを見つけて、いい形で送り出すために、発信前に自主トレをすることにしました。
表には出さない、仮のブログを3ヶ月間、練習のために毎日書き続けたのです。本当にいろいろなスタイルで書いてみました。その仮のブログを妹や友人たちにみてもらって、感想を貰い、私たちらしいブログのスタイルを探ったのです。
「あんた、まだ自主トレするんかね、色々なスタイルで書きよるねー、毎日、食卓の写真を撮って載せよるけど、誰が見るんぞねそんなん、もっと自分の体験談とか、思う事とか書いた方がええんじゃないん」
母から容赦のないコメントが飛んできます。
「ほじゃけど、いろいろ書いてみてピタッとくることを探しよるんよ」そう言いながら、私は書く側も読む側も楽しいブログにしたいと内容を吟味していました。
【親子のトークバトルが面白い】
ある日のブログで、母と私の方言を使った日常の会話を紹介したことがありました。その文章を見て、友人が「これ、面白いよ」と言ってくれたのです。
私たちにとってはさほど面白みのある内容ではありませんでしたが第三者から見ると、二人の会話が新鮮だったようです。
私たち親子が使っているのは愛媛県松山市で話している方言「伊予弁」です。親子の飾らない日常の会話をストレートに書いていることで、読む人にほのぼのとした親子の関係性が見えて、内容や思いがよりリアルに伝わってくると言ってくれました。
例えば
「あんた、何時になったらブログのスタイルが決まるんぞね、早よおやりや、考えよるより、始めた方が早いんじゃないん」
「私はやっぱり、半端なもんを出した無いんよ、私もそれなりの仕事をしてきたんじゃけん、ええ加減なんは嫌なんよ」
「ほんなら、まあ頑張って悩んだらええわい、ほじゃけどそんなには変わらんと思うよ」
こんな具合です。
私は地域の言葉「伊予弁」を全国の方たちに知ってもらえる機会になるかも知れないと思い、方言で話す親子の会話のコーナーを作るのはいいかも知れないなと思いました。
しかし母はこのコーナーにはあまり乗り気ではありませんでした。
「あんた、なんで方言で話さないかんの、恥ずかしい、私は嫌よ、それに家の事や自分の考えなんか話さんでええがね、自分の家の中を見せているようで、プライベートなんか言わんでええ」と言っていました。
しかしこのコーナーの存在が私たち親子の絆をより深くし、お互いを今まで以上に理解するきっかけになったのです。
私はブログの中の方言コーナー「毎日がバトル:山田家の女たち」を企画した自分自身を褒めてあげたいくらいです。
【奇跡のきっかけ】
私たちのブログの中身と方向性が決まりました。私が書く「コラム」とそのコラムをテーマにした親子の方言トーク「毎日がバトル:山田家の女たち」そして母の俳句を紹介する「ばあばの俳句」のコーナーです。ブログのコーナーは三本立てになりました。
そこで必要になったのがそれぞれのコーナーのタイトルになるイラストです。私は閃きました。母にイラストを描いてもらおうと思ったのです。
母はこれまで何年も日記を付けてきました。落書き帳に毎日欠かさず、その日の出来事を記し、俳句を詠み、トピックスがあればそこにイラストを添えていました。
その母のイラストは決して上手くはないのですが味があって、娘から見てもヘタウマな魅力があったのです。私は、母にブログのイラストを描いて欲しいとお願いしました。
「お母さん、ブログのイラストを描いてくれんかな、それぞれのコーナーのタイトルを描いてくれたらええけんね」と言うと、
「私でええんかね、上手じゃないし、私の絵がSNSで通用するわけがない、恥ずかしいけん、嫌よ、あんたがお描きや」と最初はいい返事がもらえませんでした。
そこで、私は知恵を働かせて「お母さんに詠んでもらう俳句にもイラストを描いてもらいたいんよ、俳句をたくさんの人に知ってもらうのに、イラストがあったら分かりやすいけんね、俳句とイラストのコラボじゃったら興味が無い人も見てくれそうな気がするけん、俳句を全国にPRするためにも描いてや」と少しずつ母をその気にさせていきました。
思った通り、母は俳句を生かすためのイラストなら描いてもいいと言うことになり、コーナーのイラストと俳句に添えるイラストも描いてもらうことになったのです。
この時は、まさか母が今のようにイラストを描くことにのめり込むとは思ってもいませんでした。
もちろん母もイラストがこれからの人生の新しい生きがいになるとは思っていなかったでしょう。
【やまだのよもだブログの始まり】
やっと私たちのブログの骨子が決まり、ブログの名前は二人で相談して「やまだのよもだブログ」とネーミングしました。
私は、野暮ったくてもふるさとの愛媛県松山市がイメージできる名前にしたかったのです。そこで地元で昔から使われていた方言「よもだ」を入れることにしました。
よもだと言うのは「いい加減でふざけているようだが、でも何だか憎めない」そんな苦笑いをするようなユーモアがある言動や人に対して使われる言葉です。
そのよもだに私たちの名字を入れて「やまだのよもだブログ」にしたのです。
時によもだっぽいニュアンスを込めながら親子で発信する創作ブログ「やまだのよもだブログ」私としてはいいタイトルになったなと思っています。
「お母さん、やまだのよもだブログどう思う」と聞くと「あんた、緊張感がない感じがええねー、ゆったりしとって、言いたいことも言えそうじゃ、ええんじゃないん、やまだのよもだブログ、私は好きじゃねー」と、賛同してくれました。
私も母もよもだなところがありますから、ピッタリのネーミングになったと思います。
タイトルもブログの展開もコーナーのイラストも決まって、いよいよどこで発信するかを決める段階にまで漕ぎつけました。
【発信場所を決める】
いくつもあるネットワークサービスの何処を使って発信するのがいいのか、そうした知識がほとんどなかった私は、自分なりにネットで調べてみましたが、決めることが出来ませんでした。そこで友人から紹介された女性作家の方に相談することにしました。彼女はこれまでネットで様々な創作を発信してきた経験者です。
「発信する一番の目的は何ですか」と聞かれて
「とにかく自分自身で創作したものを発信したいんです、これまでずっと創作活動を続けていたので、自分の中に湧き上がった何かを発信しなければ私がダメになりそうなんです、願わくば、私が発信したことがどなたかの人生の何らかのヒントになったらより嬉しいです、母との親子ブログなのでお互いのこれからの人生の生きがいにも繋がればいいと思っています」そんなお話をしました。
「その発信でお金を稼ぎたいと思っているわけでは無いんですね、それならぴったりの場所がありますよ、創作することを大切に考えている人には一番いい場所だと思います」そう言って、noteの存在を教えてくれました。
ブログを立ち上げるノウハウが分からない私は、彼女に手ほどきを受け、初投稿までの準備をしました。
初めて投稿した日のことを今も鮮明に覚えています。自主トレを生かして自分なりに吟味した初ブログの文章を何度も見返して推敲し、投稿ボタンを押しました。
あの時の高揚感が忘れられません。
「私たち親子の何かが始まる」と心の中で呟きながらボタンを押しました。その指が震えていたのを覚えています。
投稿し終わった後、私は「やったー」と声を上げて、小さくガッツポーズをしました。それがちょうど1年前です。
その初ブログがこちらです。
投稿してからすぐに、母と一緒にパソコンで投稿画面を見て二人で感動していました。
「お母さん、私たちのブログ、日本全国の人はもちろんだけど、海外の人も見てくれるのよ」と伝えると母は「へー、私の俳句やイラストを海外の人がねー」と不思議そうな顔をしていました。
ブログがスタートしたことで私は、やっと自分の居場所を見つけたような気持ちになっていました。そしてその日から母の目覚ましい進化が始まるのです。
【母に奇跡が起きた】
「やまだのよもだブログ」を親子二人三脚で始めたことが私たち親子に奇跡を生みます。投稿を重ねていく毎に、母の眠っていた才能が開花していったのです。
毎日身近で見ている娘だからこそはっきり分かるのです。母のイラストは確実に変わりました。同時に母の日常も大きく変わったのです。
ブログを始める前までの母は、ベッドに横になっていることが多かったと思います。楽しみは好きな韓流ドラマを見る事でした。気に入ったドラマをチェックして、毎日何本も見ていました。好きな韓流スターの時は特に楽しそうでした。
ブログを始める前の母の一日のスケジュールは朝起きてすぐにベッド体操、そして仏壇にお供え物をしてお経を上げた後、庭の掃除をして、朝ご飯を食べて、韓流ドラマ三昧、昼食、夕食を食べて、韓流ドラマ三昧。その間に趣味の俳句を詠むといった具合でした。
ところがnoteを始めてからの母は大きく変わりました。
ブログのイラストを担当するようになってから母は毎朝早くからイラストを描くようになりました。それもニコニコと時にはハミングをしながら描いているのです。
韓流ドラマを見る本数も減りました。リビングを自分の書斎のようにして描き続けています。
「お母さん、まだ描きよるん、体に悪いけん少しお休みせんといかんよ」
「あんた、何いよん今の感覚で描いとかんと、感覚が鈍るけんね」
またある時は「お母さんご飯の準備ができたけん、冷めんうちに食べよや」
「あんた、私はご飯よりこっちの方が大事なんよ」と言ってお味噌汁が冷めそうになってもそっちのけで、イラスト作業に夢中です。
こちらは最近の母のイラストです。一年前に比べて数段上手くなっています。
母は私の文章投稿のトップを飾るイラストに大きな責任感を持っていて、私の要望をしっかり聞いて、文章の内容にふさわしいものを描きたいと試行錯誤を繰り返し、その時の自分の最上級のイラストを出そうとします。それが上手く描けなければ自分自身を許さないのです。
私は母のそんな思いにいつも圧倒されています。
イラストを描き始めてから、母は地元新聞に隅々まで目を通し、イラストの参考になるものは無いかとヒントになるものを貪欲に探しています。雑誌やチラシに至るまで獲物を求めるハンターのように情報を集めようとしています。
求めるものが無い時には「あんた、必要な資料をネットで検索してコピーしてきてくれん」と言ってきます。
時には「あんたちょっとこのコップを持ってみてや、手の形をちゃんと見て描きたいんよ」とどんどんイラストにのめり込んでいます。
母の思考回路や、会話のリアクションも大きく変わりました。おそらく母は一年前よりも今の方が頭がクリアーになっているのです。
私は自分の母ながら、その進化に毎日驚いています。
【なぜ奇跡は起こったのか】
母は昔から負けず嫌いでとことん突き詰めるタイプです。人との競争心が強く、とても91歳とは思えないほど負けたくないという精神が働いているんだと思います。
そしていくつになっても自分らしいものを表現したいと言う創作のマグマが心の中に燃えているんでしょう。これまではそのマグマが地下深く眠っていたのです。それがブログ発信をきっかけに目覚めたんだと思います。
生まれながらに彼女が持っていたイラストの能力がSNSで発信することで一気に花開いたのです。
「お母さん、スマホ見てみて、お母さんのイラストが凄いって、見た人がスキを押してくれとるよ、すごいねー、コメントも書いてくれとる、お母さんの作品がスキなんじゃと、前よりもより上達しとるって、元気で頑張ってください言うて書いてくれとる」
SNSにいる人たちからの心優しいリアクションを目にして母は自分自身の存在を多くの人が知ってくれていると理解するようになりました。
「あんた、やっぱりSNSは凄いね、うれしいわい、こんなに皆さんに応援してもろて、またいいイラストが描きたいと思わい、91歳の描いた絵を見てくれてコメントをくれるなんて信じられん」そんな喜びを感じながら母は毎日イラストを描き続けています。
【母の進化の裏側】
母がここまで進化したのは、母の負けん気と努力だと思います。東京の美術展で見た伊藤若冲の超絶な技法から生まれる色彩感覚と躍動感に心惹かれ、若冲の図録を見て模写したり、大胆な構図で描きつつ繊細な描写をしている歌川広重の図録を模写するなど、それぞれの画家のエネルギーを貰って自分なりの作品を描いています。
日本の画家はもちろん、印象派のモネなど海外の画家の作品からも刺激を受けて、そのエッセンスをどんどん吸収して自分らしい作品を生み出そうとしています。大げさに言えば昨日と今日の作品が違っているのです。わずか1年の変化は驚異的です。
「お母さん、伊藤若冲好きじゃねー、いっつも描きよって飽きんの」
「あんた、素晴らしいんよ、一つ一つの線が躍動しとってね、私は若冲が一番好きじゃね、描きよってエネルギーを貰うんよね、素晴らしいんよ」
私は江戸時代の画家からエネルギーを感じて自分の中に取り込もうとしている母がまた素敵に見えます。
【目標は100歳まで描くこと】
ある日、母が私に言いました。「私は100歳までイラストを描くよ、とにかく死ぬまで描き続けるんよ、イラストを描くんは楽しいわい」そう言いながら母はリズミカルに筆を動かして、イラストを描いています。
イラストに出会って一年、90歳を過ぎたおばあちゃんが熱く語っているのです。私は、母がブログを始めてイラストを描く楽しみを見つけたことから奇跡が始まったと思っています。
そしてその出会いが母の日常を大きく変えました。毎日がとても充実していて一日があっと言う間に過ぎてしまうそうです。最近はドラマを見る時間がとても少なくなりました。
「お母さん、イラストに出会って良かったねー」
「ホントよ、毎日退屈せんのよね、次はあれ描こうとか、もっといい感じに描きたいとか、見てくれとる皆さんにスキをいっぱい貰いたいとかね、私は家におっても世界と繋がっとるけんね」
「ブログを始めてお互いに良かったねー」
「あんたも、自分の創作が出来てよかろがね、喧嘩もするけど、最近は前向きな喧嘩じゃけんね」
「イラストはもちろんじゃけど、親子の方言バトルでもお互い本音で話すけん、お互いのことが今までよりもよう分かるよね、心のうちも知れるしねー」
「ええことだらけじゃね、あんたが親子ブログを私に勧めてくれたけんよ」
「お母さん、私もブログしてなかったら、張りの無いつまらん毎日じゃったと思うよ、今は毎日投稿することが私の仕事みたいになっとるけんね」
「あんたはちょっとやりすぎよ、程々にせんと疲れるよ」
「その言葉はお母さんにそのまま返してあげらい」
母と私二人合わせて158歳の会話です。これからも出来る限り二人三脚でブログ発信を続けていきます。
私は皆さんに伝えたいです。
「人はいくつになっても自分が好きな事さえ見つかれば、そこに生きがいを見出すことが出来、見つけた趣味で果てしなく進化出来るんだと」
私の母がその証です。
【母のお気に入り作品】
最後に最近の母のお気に入りのイラストをご紹介させていただきます。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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