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愛媛出身の偉人を知った

「故郷の偉人を教えてください」と言われたら、私はこれまですぐさま「正岡子規」と答えていましたが、これからは「正岡子規と、和田重次郎わだじゅうじろうと答えます。

私が和田重次郎と言う人物を知るきっかけになったのは、講演会の司会を依頼されたからです。
講演会で紹介したのが、愛媛県出身の三人の偉人で、その中の一人に和田重次郎がいたのです。

和田重次郎の生涯を描いた「オーロラに駆けるサムライ」の著者のご子息でお父さんの執筆のための資料を集めるためにアメリカ、カナダを奔走した息子さんの谷午人たにまひとさんの講演で学んだ和田重次郎の人物象をご紹介します。

和田重次郎は、日本よりもアメリカやカナダで知られている冒険家です。


和田重次郎


和田重次郎は明治の時代に野望を持って愛媛県からアメリカに密航し、捕鯨船の給仕係をする中で語学や地理を学び、宿泊地のカナダの先住民に犬ぞりや狩猟を教わって、犬ぞり師”マッシャー”となり、その能力を生かして雪道を冒険し開拓する中で様々な逸話を残した人物です。

超人的な肉体と不屈の精神を持ち、野心があり冒険心もあり、チャレンジャーだった彼は、当時ゴールドラッシュのアラスカで数々の金鉱を見つけ、タナナスタンピードと呼ばれる「黄金のパニック」を引き起こします

この時、和田重次郎がタナナ平原で見つけた金鉱を1600キロ離れたカナダのドウソンシティーに犬ぞりで届けたルートが、毎年2月に開催されている世界でも過酷な犬ぞりレースのルートの一部になっています


また、34歳の時にはスワード商工会議所からの依頼を受けてアイディタロッド鉱山へのルートの開拓をしました。それはマイナス50度の荒涼としたツンドラやアラスカ山脈を越える過酷なルートです。
重次郎が開拓したその道は、現在は多くの人に知られている「アイディタロッド犬ぞりレース」のルートになっています
アンカレッジからノームまでの1850キロを10日から2週間かけて走破する過酷なレースだそうです。

和田重次郎は62歳でカルフォルニアの病院で一人寂しく亡くなりますが、日本に残した母親が亡くなるまで、手紙と仕送りをし続けた孝行息子でした

日本人であることで市民権も得られず差別的な扱いも受けながら、不屈の精神で何度も立ち上がって、アメリアやカナダにサムライ魂を見せた男が和田重次郎です

私は、明治の時代にたくましい精神力で海外に挑んだ和田重次郎は愛媛が誇れる偉人の一人だと確信しました。


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