名香鑑賞会のご感想を頂戴しました♪

椿山荘の料亭「錦水」で開催された淡交社主催の名香鑑賞会は、予てから漠然とした構想を温めてはいたものの実現させるのは初めての、とても緊張した講座でした。

歴史的な名香は数少ない銘香の中でもとりわけ貴重で、極めて丁重に扱われるべき存在ですから、それらを炷き出すには、本来であれば然るべき準備を調えて、規範に則って粛々と行なう必要があるからです。

賢章院様「月」

実施できたのは、例え銘は六十一種名香や勅銘香などに該当するものであっても、御家元や御宗家が所蔵される手鑑香(手本木)と同木であると鑑定して戴いたことは無く、従って「真正な名香とは言えない」と判断したからでした。

とは言え、明らかに江戸時代(恐らく1700年代より以前)には渡来していたと考えられる香木たちですから、それなりの味わいが感じられて、とても有意義な会になったと喜んでいます。

ご参加下さった方からご感想を頂戴していますので、紹介させて戴きます。

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本日は名香を聞かせて頂き、ありがとうございました。
広くゆったりとした空間で、通常は聞けないお香を聞くことが出来、本当に良い時間を過ごせました。
資料にも書かれていた通り、組香では聞き当てようとする競争心のようなものが先立ってしまい、香りそのものを純粋に楽しめないこともあります。
やはり無の心で香木と向き合える一ちゅう聞の良さを改めて感じました。

二番目の「スモタラ」は優しく癖のない香りで、自分が持っている寸門多羅のイメージとは違う、と思いましたが、二回目に聞いたときは、穏やかな中にも寸門多羅らしさを感じました。
四番目の「ラコク」をたいた際に「伽羅立ちするものは火末の方が羅国らしさが出る」というご説明がありましたが、これは他のお香木にも当てはまる場合が多い気がします。
銀葉に乗せて熱を加えると、まずそのお香木がまとっているベールが匂いたち、それが消えた後で、そのお香木の本質が現れる気がするのです。
そのように考えると、やはり同じ香炉を何度かまわして頂き、香りの変化を比べることが出来て良かったと思います。

新伽羅については、「伽羅になりきっていない未熟な伽羅」という程度のイメージしかなかったのですが、三番目に「柴の戸」を聞かせて頂き、その意外な香りに驚きました。
そして、新伽羅にもまだ十分に熟成していないものと、完全に熟成したものがある、というご説明に納得しました。
新伽羅は自分の中で最も説明が出来ないお香木でしたが、ある程度の認識を持つことができ、本日最大の収穫となりました。

六番目の「から錦」、七番目の「夕きり」は、ともに主張の強い、しっかりとした香りで、長い年月を経ているお香木がこれだけの力を発揮できることに改めて畏敬の念を抱きました。

八番目の「長月」、九番目の「月」は、伽羅でありながら華やかさはなく、こちらは長い年月から来る円熟さと落ち着きを感じる香りでした。

小さなお香木の一片から、そのお香木が経てきた長い歴史に思いをはせることが出来ました。(後略)

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今回の体験を踏まえて、また新たな試みの構想が生まれました。
それは、電気香炉を活用する「銘香(ときどき名香)鑑賞会」の実現です。

聞香炉による聞香は味わい深く醍醐味を感じることが出来る反面、火加減が香炉ごとに微妙に異なるため、大勢で数多くの香木を鑑賞するには困難が生じやすく、実施にはハードルが高いからです。

そこで、志野流・御家流の分け隔てなく、所持する銘香をどんどん炷いて、香木好きの皆さまと一緒に気楽に愉しみたいと思い立った次第です。
いずれ改めて日程等の案内をさせていただきますので、その折にはぜひご参加くださいます様、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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