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『純ジャパ』って言葉、使うのやめませんか。
こんばんは、カワウソです。
今回は、『純ジャパ』という言葉について考えていきましょう。
この純ジャパという言葉、初見の方も多いかと思いますが、ある界隈ではよく使われている言葉です。
それは、英語界隈です。英語話者で、「海外留学なし、帰国子女でもダブルでもない人」のことを指します。
もともとは、外語大で、そういう種の学生を帰国子女等と区別するために使われた語です。また、海外留学がなくて英語ができないのを自虐的に使う言葉として使われてきました。
しかし、現在では、あまり自虐的というか、コンプレックスをあらわす言葉として使われてはいないようです。
例えば、YouTubeで「純ジャパ」と検索すると、「純ジャパの私が英語ペラペラになった語学勉強法」などのタイトルの動画が見つかります。
動画の内容や雰囲気などから見るに、ハンデではあるがコンプレックスではないという感じの言葉の様です。
で、ここで提案しますが、この言葉、今後使わないでいただきたい。学部内ならともかく、動画や書籍のタイトルで、この言葉を使うのはどうなのかなと思っています。
特に、東京オリンピックを迎えた今になって、この言葉の持つ恐ろしさが加速度的に増えていっている、そう感じるようになりました。
今回は、なぜ『純ジャパ』という言葉を、少なくともオープンな場で使うべきではないと思うか、その理由を説明します。
留学なしのハンデが狭まってきた
まず、そもそも『純ジャパ』であることが、英語を使う上でハンデとなるかどうか、これについて考えていきます。
結論を言いますと、海外留学に行っていないということはハンデにはならない、少なくとも、英検1級合格レベルの英語を身に着けるにおいては全く問題ありません。
メンタリストDaiGoさんが、DMM英会話のインタビューで以下のように発言しています。
ケンブリッジ大学が語学と学習時間について行った調査では、「普通のペースで行われる語学授業」「30日の短期で詰め込む集中型授業」「海外留学」の中で、もっとも効果があったのは、二つ目の「短期集中型の授業」であったことが明らかになりました。
すなわち、海外留学をするよりも、短期集中型学習で語学をやれば、むしろ留学以上の効果を出すことができるわけです。
科学的に考えれば、「留学無し」は大したハンデにはなりません。それこそ、現在はDMM英会話やNative Campをはじめとする、オンライン英会話も充実しています。
もちろん、オンライン英会話では時間やお金、講師の質などの制限があるため、利用すれば全員ペラペラになれるとは思いません。
しかし、私の経験上、少なくとも英検1級レベルの英語を身に着けるのであれば、「留学なし、帰国子女でも親が外国人でもない」ということは、ほとんどハンデにはならないと考えています。
科学的に考えると、「純ジャパでも英検1級」というのは、「お米を食べなくても栄養を補える」と言っているようなものです。
この世にはパンやうどんがあるということを、今すぐ知りましょう。
「純日本人」は国際的ではない
また、純ジャパという言葉は、純日本人という言葉と同義です。ジャパ=ジャパニーズなことを考えると、感じ方は違うでしょうが、根本的な意味が変わるとは考えにくい。
そして、この「純日本人」という言葉。最近になってより頻繁に使われるようになりました。
そのきっかけとなった一つが、東京オリンピックです。
聖火リレーの最終ランナーを、ハイチ系の家系をもつ大坂なおみさんがつとめました。その際、「純日本人でない人間を起用していいのか」というような議論が巻き起こりました。
「純日本人」という言葉、どこか、排外主義的な意味合いで使っている人もいる。
「純ジャパ」も同じではないでしょうか。
考えすぎだという声ももちろんあるでしょう。私自身も、学部の身内だけでこの言葉を使うことまでは責めるつもりはありません。
ただ、英語を扱うにおいては、ビジネスであれプライベートであれ、日本とは違う文化で生まれ育った人と交流する機会がふえる。そういう目的が一切なく英語を学ぶ人はそんなにいないのではないでしょうか。
であれば、排外主義的に聞こえかねない言葉は控えた方がいい。
血統的な意味で「純粋ジャパニーズ」に受け止められてしまえば、それこそ差別主義者だと思われかねません。
ポリコレ棒でたたくなという意見もわかります。私自身、過度なポリコレはどうかと思っています。マンホールをパーソンホールと呼ぶような、意味のない言い換えなど、反発しているものもあります。
ただ、この「純ジャパ」という言葉は、特に、自らの高い英語能力を誇示する際に使うのであれば、控えた方が無難なのではないでしょうか。
もちろん、これは一つの意見でしかありません。差別には当たらないと思うならば、この言葉を使い続けてもかまいません。
ただ、やはり、非日本語話者と何らかの形でかかわることを目的として英語を学んでいるのであれば、この「純ジャパ」という言葉が醸しだす排外主義性との食い違いを感じずにはいられません。