【超ショート小説】でろりあん

 S市の美術館では、岸田 劉生きしだ りゅうせいという大正から昭和にかけて活躍した画家が取り上げられていた。
 代表作の「れい子像」は鬼気迫る描写で、異様な迫力を放っていた。
 フリーライターの富樫 信也とがし しんやは企画展の会場にいた。
「すごい迫力だな」
 同時代の画家が印象派など前衛芸術に傾倒する中、徹底して古典を研究したという画家の意志が感じられた。
「どうみても不気味だ」
 暗い画面に、薄く嗤う少女。
 菊人形のようなおかっぱ頭に切りそろえている。
 静寂というよりも、冷たさを感じた。

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 帰りの電車の中で、ふとみた少女が麗子像にそっくりなので驚いた。
 ガタンゴトンと、規則正しい音とともに左右へ揺られ、ときどきよろける。
 その少女は小学2年生くらいだろうか。
 手すりにつかまっていたが、揺れにまかせて身体を揺すっているようにもみえる。
 少女は信也の視線に気づいたのか、こちらに視線を合わせてきた。
 一瞬目をそらすと、電車の外が暗くなった。
 轟音に包まれる。
 短いトンネルだった。
 すぐにドアへ視線を戻すと、信じられないことが起こった。
「いない」
 忽然と消えてしまったのだ。
 確かに扉の近くに立っていたはずだが、近くにもみ当たらない。
 電車の規則正しい音と揺れ。
 車内放送で、次の駅名が告げられた。
 疲れているのかもしれない。
 目頭を押さえると、外へ視線を戻した。

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 翌日。
 自宅近くの墓地で、桶に水を汲んだ。
 信也には幼くして亡くした、ひとり娘がいた。
 そう。
 昨日みた少女と同じ小学2年生だった。
 車にはねられ、即死だった。
 突然の出来事を受け止めきれず、今でも目を閉じれば足元にまとわりつく姿がみえる。
茉唯まゆ……」
 墓石の前にしゃがみこむと、水を汲んだ。
 柄杓ひしゃくから、一筋の水がこぼれて墓石を端から濡らしていく。
「パパと遊ぼう。
 今日も水遊びだよ」
 妻は事故のショックからか、精神を病んで衰弱していた。
 信也自身も、茉唯が苦しむ声を毎晩夢で聞く。
「パパ、遊ぼうよ」
 おぼろげな声がしたと思うと、叫び声に変わるのである。
「できることなら、パパが代わってあげたい。
 苦しかったろうな」
 毎日嫌でも考えてしまう。
 目頭が熱くなって、顔を上げた。
 すると。
「また、あの子だ」
 電車でみかけた女の子。
 いや、麗子像にそっくりだった。
 墓石の間から、横目でこちらをみる顔がはっきりわかった。
「待ってくれ」
 思わずつぶやき、近づいていく。
 黒御影くろみかげの美しい墓石が立ち並び、陽の光を吸い込むかのように暗い風景をつくりだす。
 不意に木の影が、辺りを暗くした。
 一瞬足元をみる。
 木れ日の中、石の段差に気を取られた。
 そして、視線を戻すと、
「まただ……
 またいなくなった」
 菊人形のような姿が、忽然と消えていた。
 喪失感が、心に暗い影を落とす。
「でろり…… でろり…… 
 うふふ」
 背後から、薄気味悪い声がした。
 動揺した信也には、後ろを振り返る勇気がなかった。
 歩を早め、そのまま立ち去ってしまった。

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 家は、しんと静まりかえっていた。
「ただいま」
 ガラリと乾いた音を立てて戸を開ける。
 玄関はガラスの引き戸で、上がり口が高い。
 古い木造建築の一戸建てだった。
 板張りの床がきしみ、ときどきバキッと大きな床鳴りがする。
 ほこりとカビの匂いがしみつき、縁側えんがわから光がれる。
 ふすまをスーッと空けると、妻は相変わらず床にせっていた。
 スースーと、静かに寝息を立てている。
 今日はなぜか、呼吸していることをきちんと確認したくなった。
 台所から、皿の音が響いた。
 足音を立てないように、近づいていく。
 廊下は部屋の間にあって、薄暗い。
 北側の台所は、昼間でも電気をつけないと暗かった。
「ああ。
 母さん。
 皿洗いは俺がやるから、身体を休めてよ」
 同居している母も、孫を失ってから老けこんで弱っていた。
「でろり…… でろり…… でろりあん…… 」
 背後から、かすかに声がする。
 ゾクリと背中に悪寒が走る。
 冷汗が頬を伝った。
 ゆっくりと周囲を手で確かめながら、和室に戻っていく。
 不思議と、床鳴りがしなかった。
「あなた。
 お帰りなさい」
 妻の静香が、半身起こしてこちらに微笑ほほえんだ。
「昨日は、岸田劉生の絵をみたんでしょう。
 私も行きたいわ」
「今のは、君が」
 かすかな声が、耳について離れなかった。
「『でろり』って、麗子像のことを呼ぶのよ。
 茉唯まゆが亡くなったときと……
 同じくらいの歳よね」
 遠い眼をして、かすれた声でつぶやいた。
「もしかして、昨日墓参りに行ったかい」
 偶然にしては、でき過ぎている。
 聞いてみたい衝動にかられ、語気が強くなった。
「えっ。
 どうかしたの」
 この体調で、墓参りなど行くはずがない。
 いつも介助して、病院まで連れていくのだから。




この作品はフィクションです


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