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「超探偵事件簿レインコード」をクリアして 

 (具体的ではないですか「超探偵事件簿レインコード」とダンガンロンパシリーズのネタバレがあります)

 「超探偵事件簿レインコード」をクリアしました。この作品はダンガンロンパスタッフの新作という事で、期待していました。

 結果から言うと「まあ良かった」となります。「まあ」をつけているのは、やや物足りない感じがあったので、それを「まあ」という言葉に込めています。

 「レインコード」は主人公が探偵の話です。雨が降り続ける街「カナイ区」の謎を解くのが作品のメインストーリーとなります。

 色々システム面がどうとか、ロードが長いとか、話にツッコミどころがあるとか、まあそういう事は置いておきます。以前から思っていた事ですがが、批評というのを履き違えている人が、なにか一つでも作品の欠点を見つけて指摘すれば、作品の全体を否定できるという感じの意見を書いているのをよく見かけます。

 ですが、作品の小さな欠点を指摘するだけでは作品を否定する事はできません。その作品を肯定するにしても、その作品が何を目指しており、また目指している部分をどの程度実現できているのか、その点に言及しなければその作品を否定し去る事はできません。

 古典文学を読んでみるとわかりますが、古典文学は欠点だらけです。しかしそれらの作品は無数の欠点にも関わらず、中心に大きな柱を抱いており、その柱の偉大さの為に、歴史的に残っているのです。作品の中心部分について触れる力量がないのにも関わらず、表面の微細な傷や、表皮的な光沢を云々して、その作品そのものを否定したり肯定したりしていると考えている人が多すぎる気がします。

 …しかし、クリエイターがそもそもほとんど意図を持っていない時代においては、その向かう先を考える事もなく、テクニカルな批評だけすれば済むという事になっているのかもしれません。人間の向かう先について、誰も考えようとしない時、ただその向かう先にいかに到達するのかという「合理性」だけが問題になるのと、同じような事情かもしれません。

 話を戻します。「レインコード」はあくまでもエンタメ作品です。なので、作品のラストもエンタメ的な解決を行っています。

 南井三鷹さんの「イワン・カラマーゾフ「大審問官」の射程」という論考の中で、「奇跡」対する優れた洞察があります。私なりに要約すると、サブカル作品(エンタメ)には必ず「奇跡」が必要とされる、という事だと思います。

 「レインコード」という作品のラストもまた、「奇跡」が全てを解決する、という風になっています。だから、「レインコード」はあくまでもエンタメ作品です。しかし、その奇跡に至るまでの、カナイ区の暗い真実、そしてカナイ区の人々が陥った状況を解決しようとするあるキャラクターの試みは、苦渋に満ちたものであり、現実的な政治・社会との問題を想起させます。

 要するに「レインコード」は最終的にはサブカル的に「奇跡」で全ての問題が解決されるのですが、「奇跡」に至るまでの問題提出はなかなかにリアルで、実際の現実を映し出していると言えます。

 ここから下降して悲劇に行くと文学になりますが、上昇して「奇跡」が起こり、問題が解決されると、サブカルになります。もっとも、ここから上昇して、宗教的展開を果たせば、「奇跡」が起こると共に、文学作品になるという本当の奇跡が現れます。つまり、人間にとっては悲劇である(文学)と共に、その悲劇性がそのまま「あの世」で救済される(サブカル)という事です。こちらの世界ではリアリスティックな悲劇が起こりますが、あちらの世界ではその悲劇がそのままに救済されるという形式です。

 そんな不思議な事がなぜ可能かと言えば、宗教は、あくまでも現実の彼岸にあるものだからです。具体的には、「ファウスト」のラストが思い起こされます。主人公は天上に向かう途中で癒やされます。彼岸で人間は救われる、と信じる事ができるのであれば、此岸の我々は救われず、苦しんで死んでも問題ありません。

 こちらの岸では悲劇であり、あちらの岸では喜劇となる。この方法論を使うには、彼岸の存在を認めるーーつまり、「宗教」が信じられなければなりませんが、現代の我々は宗教を喪失してしまいましたので、実際には難しくなっています。

 あの世は認められないにも関わらず、こちらの岸にいる我々は救われたいと願望する。だから、救済は現実に持ち込まれます。しかし、現実には理不尽な事柄がたくさんあります。何より理不尽なのは、人が死ななければならないという事です。ですが、この問題を現実内部で解決する方法は存在しないので、エンターテイメント作品は覆いをかけて、我々を安心させようとします。

 理性を眠らせ、悲劇を黙らせて、現実世界を何とか円満なものだと描こうとします。エンタメ作品は、そういう目的の為に様々なバリエーションを持ち、様々な形態をもって進化してきたと言う事ができるでしょう。

 「奇跡」というのはエンタメ作品がその願望を成就する為に最も重要なパーツです。危機に際して仲間が助けてくれるとか、秘められた力が溢れ出すとか、色々あります。しかしとにかく奇跡がなければエンタメは成り立たない。ですが、現実の我々に「奇跡」はあるのか?と考えると、かなり重たいテーマとなります。

 ※
 「レインコード」に話を戻します。「レインコード」は、私にはややボリューム不足だと感じました。私は「ダンガンロンパV3」をダンガンロンパシリーズでは一番評価しているので、あそこまでは至らなかったなという感じです。

 もっとも、「レインコード」で、何か新しいシリーズ物が始まったな、という感じもありました。つまり、新シリーズの始まりとして考えるなら、上々の滑り出しと言っていいかと思います。ダンガンロンパシリーズで言えば、ダンガンロンパの1にもう一度戻った感じです。

 私はドラクエやFFが、ゾンビコンテンツとして無理矢理続けられている状況をあまり快く思っていません。以前も書いた事がありますが、現代におけるクリエイティブというのは、その半分くらいが実際には消費者のものです。ドラクエやFFがいつまでも続くのは消費者が望んでいるからで、クリエイターはあふれる情熱とか創作意欲を叩きつけているのではなく、消費者の期待に答えようと必死になって物作りをしています。

 クリエイターと消費者との関係は対立的であると同時に融和的です。消費者は「作品はこうあるべき」という規範を持っていて、それを満たす作品が良いとされています。この構造に、今は疑いを抱く事さえタブーとなっています。

 だからクリエイターは、物作りの才能がある、オリジナリティがあって、天才的な閃きがある人ではなくて、消費者の期待に必死に答えようとする労働者と考えた方が良さそうです。また、芸術とエンタメの関係を思えばよりはっきりしますが、消費者の要求に答えるクリエイターの方がより尊敬され、神格化されます。

 本当に才能のある作り手はそれほど人気にはなりません。一部の玄人が褒めるだけです。消費者にとっては、自分達の願望を現実化してくれる存在を神格化する方が、自分達にとってもクリエイターにとっても都合がいいのを無意識的に知っています。

 そういう意味では「ダンガンロンパV3」で、ダンガンロンパが、自らのシリーズに完全に終止符を打つ事をはっきり宣言し、作品を終わらせたのは良かったと思います。「ダンガンロンパ」が、現在無理やり続けられているゾンビコンテンツにならなくて良かったと思っています。

 そして「ダンガンロンパ」が終わった後、始まった「超探偵事件簿レインコード」は、新しいシリーズの始まりとして考えると良かったのではないかと思います。「レインコード2」がこの先出るかはわかりませんが、主人公を探偵として、個々の殺人事件を解きながら、より大きな謎を解いていくというシナリオ構造はこれから先も十分使えるでしょう。

 ダンガンロンパシリーズも、一つ一つの事件を解決しつつ、その背後にあるより大きな謎に迫るという構造でしたが、作品の設定が「デスゲーム」という制約のあるものだったので、シリーズをいつまでも続けるのは苦しかったと思います。マンネリ化もしてくるでしょうし、閉鎖空間のデスゲームというシナリオではやりたい事も絞られてくるでしょう。そういう意味でも、ダンガンロンパを3で打ち切ったのは英断だったと思います。

 なので私は「レインコード」という作品には比較的肯定的です。ストーリーのどんでん返し、そのうねりも面白かったし、背後に隠された謎なども面白かった。

 この作品をより真面目に考えていくなら、「カナイ区」で起こった事柄を現実の政治・社会問題と関連して捉えるという事でしょうが、私はそこまではやりません。ただ、一見SF的に見えて、かなり現実的にありそうな問題を取り扱っているという点が興味深かったです。

 エンターテイメント作品自体が一つの岐路に立たされているのかもしれない、と私は感じています。それはエンターテイメント作品が高度になり、リアリティを持ち、現実の諸問題をあたかも一刀両断で解決できる、という見かけを持とうとする為に、かえって現実の暗さ、悲しさに近づいて、むしろエンターテイメントが文学の方に寄ってきている、というような事です。

 クリエイターの中には、エンターテイメントの終焉のようなものに無意識的に感づいている人もいるようです。それを一番徹底してやったのはミヒャエル・ハネケ「ファニーゲーム」ですが、ハネケは元々、芸術家としての立ち位置なので、徹底的なエンタメ破壊をしても、自分自身は崩れずに済みました。

 私は「レインコード」をそんな風な、一種の岐路に立たされている作品と感じてプレイしました。もっとも「レインコード」は、ダンガンロンパシリーズが終わって、また新しい始まりの第一作として考えると成功なような気がします。探偵物という事で作品にも広がりが出るし、色々、作者の願望が込められそうですし。そういう意味で、次回作に期待したいと思います。ただ「五年後」はあまりにも長すぎるので、できればもう少し短いスパンで出して欲しいです。

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