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世間知らずと言われる教員が半年間企業で働いてみた話

9月30日をもって半年間の企業研修を終えた。

それはとても幸せな時間だった。今日はその幸せについて書いてみる。

4月、僕はこれまでの自分をちゃんと肯定して生きてきたから、ちょっとやそっとの揺らぎで人生変えられてたまるかと意気込んでいたのだけれど、終わってみれば人生が変わってしまいそうな揺らぎ方をした。

ここでいう人生の変わり方は、新しい価値観に出逢ってこれまでのAという生き方から、完全に道を変えてBという生き方にシフトするというよりは、自分という人間が複雑化し、AもBもCも生きていける人になったと形容したい。

つまるところ、とても魅力的な人になったということである。

キャリアの知見も増え、現地の言葉もたくさん覚えた。働き方がスマートになり時間が増えたから筋量も増えた。目に見える定量的な変化は学校に戻ってから誰からもすぐに「変わったね」と声掛けられるわかりやすさであるが、本当はもっとわかりづらい、言葉にするには時間が掛かる変化こそ魅力の理由であると考えている。

企業で学んだノウハウを学校現場に還元可能な形に作り替えて導入することこそ僕に求められることだと意気込んでいたが、きっと教育の本質を考えた時に大切なことは、大人である僕自身が魅力的であることで、それが子ども達にとっての未来への明るさとなり、その明かりを頼りに子ども達は勝手に力強く育っていくのだと信じている。

だから大人は企業に出ることに限らず、色んな経験を経て複雑で、魅力的であってほしいし、僕が企業で出逢った仲間たちにも是非学校に遊びに来てもらいたい。

キャリアアンカーやエンゲージメント、オンボーディングやジョブクラフティング、僕がこの半年間学んできた現地の言葉は、学校に戻ると新しい言葉のように聞こえるが、そのどれもこれまで教育の中で大事にされてきたことである。

人を育てるということにおいて、教員の右に出るものはいないと信じられるぐらいには、僕は教員として育ってきたこれまでの自分が好きなんだと知った。

自分のことを好きでいられる幸せは、何ものにも変えがたい強さがある。

教員は本当に世間知らずか?

僕を含め、教員の多くは大学を卒業してすぐに学校現場に出る。つまり僕らにとっての社会はその大部分が学校の中で構成される。

「教員は世間知らず」そんな声を直接掛けられたことはなくとも、耳にしたことはあるだろう。

教員が起こす問題は、教員が聖人君子であると考えられる限り大きく取り上げられ、その度、短絡的に「教員は世間知らずだから」と結びつけられる。

企業含めて学校の外にあるという意味での社会経験がないという理由で、進路指導に不向きであると声を掛けられた仲間もいる。

本当にそうだろうか?

否、個人の問題である。

元も子もないが、教員の中には世間知らずもいれば、そうでない人もいる。

僕も企業に出るまで名刺交換の仕方やメールの送り方などを学んだことはなかったが、働き方が違えば、求められるものも違うというだけのことである。働き方の不器用さは育ってきた環境に依存する部分がある。

それでも知らないことを咎められることもなかったし、あの温かい職場の中では知らないことを劣っていると悲観する必要もなかった。当然、教育の当たり前が社会全体の共通言語であるわけでもないから、僕もそれを丁寧に伝えてきた。

足りないものを補い合うから社会は成り立つのである。だからより良い働き方を選ぶ上で学校は、企業は、と歪み合う必要はなく、互いの幸せを求めた丁寧なリスペクトの上、丁寧に学ぶ必要がある。どんな仕事にもリスペクトを払えるのが大人だから。

とはいえ、僕ら教員も称賛し難い働き方があることを自覚した上、謙虚に企業の働き方から学ぶ必要がある。ここではいくつか、その目的の違いから来る働き方の違いを紹介したい。

学校と企業の働き方の違い

①コスト意識が生む、時間への意識

利益を目的とする企業と利益を目的としない学校とでは、そもそも働き方や所属する従業員、教員の意識に差が生まれるのは仕方のないことなのかもしれない。

その中で、コスト意識は教員が企業人に比べて不足している部分であると感じる。学校の仕事は授業準備にはじまり正解の見えない仕事が多く、その不透明さが仕事に際限なく時間を投資してしまう原因につながっているとも考えられる。

一方で利益を目的とする企業では、長時間労働はコストとなる。目的や本質を無視し、ディティールにとらわれることで生まれる無駄なコストを、学校以上にシビアに減らそうと考えている。働き方改革が「早く帰りましょう」というお気持ちの変化への促進ではなく、本気で残業を減らすためのシステマチックな改革である点において大きな違いがある。

一人で仕事を行うことは、非効率を生む可能性があり、また属人的な仕事のもち方ではいずれ担当者がいなくなった時に周りが苦労することにもつながる。僕が学校にいる時の癖でつい業務を一人で行おうと思ったら決まって年上のメンターのお姉さんに「一緒にやるよ」と声を掛けられた。

時間は有限であることを意識し、目的の是非を問い、チームでの対応、全員のスケジュールの見える化による仕事の分配、ジョブローテーションによる能力の均等化、働き方改革をお気持ち改革にしないためのヒントはいくらでも転がっている。

学校にある授業や行事は極論なんでも子どものためになってしまうし、その感動の大きさからいくらでも時間をかけられてしまうのだが、ライフワークバランスのライフを充実させてこそ、いいワークに繋がる意識をもちたい。

教員が幸せでないのに、子どもが幸せになれるわけがない。

②権力を前提とできる教育か否かの違い

人事の部署に配属され教育の色の強い仕事を担当したが、教員は権力や影響力を頼りに日々過ごしてしまっている可能性があることを知った。

権力とはだいぶ強い言葉ではあるが、子どもに対して行う授業と、大人に対して行う講義とでは、その性質が異なることを理解する必要がある。大人への講義が、学校教育における授業と異なる点は、教員と生徒という関係性や立場から来る影響力を前提にできない点、加えて、意義や目的を言葉で語らなくてはならない点にある。

普段生徒に授業をする際には、関係性から来る甘えや子ども相手がゆえの曖昧さを残してしまいがちであるが、対象が大人であるとその活動にどんな意義、目的があるのかの明瞭性、また目的と提示した方法に整合性が取れないと納得感をもって協力してはもらえない。目の肥えた大人は納得感のある目的をもとに主体的な働きを生むと学んだ半年であった。

また、先述の通り、学校は営利目的ではないため、場当たり的な行動、臨機応変な対応で多少の失敗があっても、子どもがやったことという点で許されるような雰囲気があるが、企業では社会やお客様、取引先との信頼関係にも繋がるためよりシビアなイメージがある。そのため会議ひとつとっても緊張感があり、全員が自分事として参加している様子がある。小さな疑問も洗い出し、細かく検討することで曖昧さを残さないため、全員がイメージを共有したまま会議を終えることができる。叩き台として出される会議資料そのものも緻密であるが、それが更にブラッシュアップされていき、チームで行事を作り上げる高い意識を肌で感じることができたことは、よい学びであった。

対象が子どもがゆえの甘えや曖昧さが、準備の「まぁいっか」に繋がっていないかは問い続ける必要がある。

教員のもつ強さ

「半年間、企業に出てみて学んだことは数えきれないほどありましたが、企業のみなさんが教員と一緒に過ごして学ぶことがあったか不安になります」

最終日、セレモニーに集まってくれたお世話になった人達40人ほどを前にそんなことを語った。

与えられるばかりで、与えることはできたのか、考えたら怖くなった。

そしたらその夜、鳴り止むことのなかったLINEの通知に教員のもつ強さを見たから紹介したい。

これは僕だけの強さではなく、何もない僕を育ててくれた学校という社会がくれた恩恵だから、きっと一緒に働くみんなに当てはまる。是非受け取ってもらいたい。

・とにかく色んな人と喋る、コミュニケーションの量が多い人。入社数年目の私より知り合いが多くなってましたね。

・良いなと思うことは余すことなく見つけて言葉にしてくれて、その解像度が高いからスーッと入ってくる。

・わからないことをわからないって言えるの、大人になってからできるの凄いなって思いました。先生ってプライドが高い人が多いイメージだったので。

・高校生との距離の取り方が抜群に上手い。本当に初日?って思いました。

・あげてくれるレポートの日本語がきれい。先生っぽいなと思いました。

・大人相手、子ども相手、色んな人相手にプレゼンしてるのを見させてもらいましたが、テンポ感や相手とのやり取りが授業してるみたいで新鮮でした。

・教員は子どものことをよく見ているんだって思って教育のプロだって思いました。

・食堂のご飯盛りすぎです。

・すぐにエピソードトーク評価してくる。話の尺がとか、オチが弱いとか言われるからプレッシャーでした笑

若干のいじりはありつつ、花向けの言葉だと差し引いても、僕が残せたもの、僕を育ててくれた学校が社会に与えられる影響はきっとある。

僕は本気で教員の仕事が好きで、一緒に働いている先生達にも幸せになってもらいたい。

だから僕がそう感じていたように、教員は特別なスキルを持ち合わせていないと思うかもしれないけれど、教員というだけで価値があることって見えないところにたくさんあるのだと思う。

社会から切り離された感覚、こんなに働いてるのに何者にもなれないと感じるみじめさ、

外に出て違うんだって知った。

先生は先生であるだけで、何者だったんだと。

先生達が自信をもって、この仕事ができますように。


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やまだえっせい
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