僕らの育成の現在地
今日から静岡県のU10の一番大きな大会であるしんきんカップの地区予選が開幕した。子ども達は純粋に「ずっと勝ちたいから県大会に出たい」そう思っていて、僕は「緊張感の伴うゲームは乗り越えた時に必ず大きな成長をくれるから県大会に出たい」そう思っていて、僕らはそれぞれの理由があれど同じく県大会に出たいと思っている。
県大会に出るためにはレベルの高いチームの揃う駿東予選を勝ち抜く必要がある。やはり県大会に出るというのはそれなりのレベルを持っていないとその資格がないということなのだろう。
フリー抽選の結果、山田の生まれながらのくじ運の良さもあり優勝候補FC長泉と同グループに入った。しかも初戦から。おそらくあそこは県でも勝てるリソースがある。2チーム出しできる層の厚さも羨ましい。ちなみに2週間後に行われる中体連も春の大会の準優勝チームを引き当てた。「緊張感の伴うゲームは乗り越えた時に必ず大きな成長をくれる…なんでしょ?」と言わんばかりに強いところをもれなく引き当てるくじ運の良さで言うと昔から僕の右に出るものはいない。ちなみに福引きとかは当てた経験がない。
FC長泉との対戦はここ4ヶ月で5回目となる
2月TRM 1-4
4月カップ戦0-4
5月TRM 0-2
TRM 0-7
よく負けた後に聞く「点差以上にやれたわ」という常套句は相手からすると痛くも痒くもなかったということがほとんどで、うちはそんな慰めすらかけてあげられないぐらいに何もできていない状態の過去4試合だった。ペナルティエリアに進入した回数も数えるほどだ。
リーグ戦初戦にして、最大の難敵との対戦は他のチームの力もわからない中でなるべく過去4試合のような大量失点に繋がるリスクは冒さずにゲームを進め、カウンターでワンチャンスを狙うことをプランに臨んだ。リスク回避の具体的なプランはリズムができるまでは自陣でのビルドアップを避けゴールキックは蹴る、キーパーの配球もできるだけパントキックでディフェンスの背後、そして陣地回復だ。
しかし、結果はまたしても0-4。
前半5分にクリアを中に蹴り込むと拾われてミドルシュートを食らう。その後すぐコーナーが手に当たりハンドでPKをもらい失点。その後は猛攻を耐え、ビルドアップからの前進でペナルティエリアまで進入するもシュートブロックに阻まれ、後半開始すぐの1点と終了間際の自陣ペナルティエリアでのドリブルを奪われ失点。そしてこのゲームに関しては2人出してあげることができなかった。
サッカーをしていると「今日全然点決まらんけど、負けることはないな」という匂いがある。きっと同じような匂いを相手は感じたのだろう。今日のゲームでこちらが感じたヒヤッとする感じを相手は一度でも経験しただろうか?外から見ていても強度が上がらない選手達の姿がわかる。小学生のメンタリティの不安定さから来る強度の不足か、アップ時の強度不足か、そもそも普段のトレーニングの中から僕が求める強度の基準が低いのか、そのどれもが原因だっただろう。
まだまだ差がある。少し近づいた気もするし、また離された気もする。当然僕らが上手くなっている時間に、彼らもまた上手くなっている。その速度が速ければ離され、遅ければ近づくだけだ。
一度落ち込んだら今日の動画を分析して、またトレーニングを作って次への努力をしたいと思う。
僕らの育成の現在地
中学校のテスト週間の今、受験生の子ども達に向けて手を替え品を替え、毎日勉強のモチベーションが上がるような話をしようと心掛けている。習慣はどうやって作るのかとか、できることを捨てていくのが勉強だとか、正しい睡眠の取り方だとか、そしてその中で、もう2億回ぐらいしているのが現在地の測り方の話だ。
人生はシンプル。理想の姿を目的地にし、現在地との距離を測ってその距離を地道に縮めていく作業の繰り返しが夢を叶えると。ただ順位だとか相対的ものだとか、本気を出さずに取り組んだものだとかは現在地をわかりづらくしてしまうため、比較対象を過去の本気の自分に置くのが良さそうじゃないか?と話をする。できるようになったことが増えたらその度、現在地は目的地に近づくのだと。
これはサッカーも似ている部分がある。今日の敗戦は自分達の足りない部分を知るには良いきっかけだった。ただ、それが自分達のやってきたこと全てを否定するだけの材料にはならないのだ。2ヶ月前と同じ0-4というスコアだけに目を向けると現在地はあの日から少しも変わらない場所にあることになる。しかし、''ビルドアップから前進しペナルティエリアまで進入できる機会が増えた''は成長じゃないか、子ども達?
勝つことだけが目的地になると当然あちらも成長していくため、進んだことに目を向けづらくなる。同じ0-4に「あぁ2ヶ月で全然成長変わらなかったね」とポロッとこぼした選手達に僕が伝えたのは、僕らが目的地に進んでいく中で、できることが増えていったならもしかしたら勝てる可能性も上がるんだということだった。
肩を落としてベンチに戻ってきた子ども達もミーティング後には少し前を向いた様子で自分達のできたこと、できなかったことを喋っていた。ここは本当に彼らの成長だと思っている。
「(ハンド取られたキャプテンがずっと泣いてる)俺がハンドしたから…」「いゃコーナーにした俺らが悪い」
「ゴールキックの時、(幅取ったSB)戻るの待たないで蹴ってごめん」
「○○(SB)が持った時、俺(SH)がもっと幅取れば良かったかも」
「○○(SH)が持った時、パラ(パラレラ)して欲しい!」
「(CB)俺が持った時、みんなパスライン切られてたからさ…」
うん、全部合ってるしわかってはいたんだよね。ただそれをピッチ上で自分達の力で修正するだけの力がなかったんだと、そこが自分達の現在地なんだよと。
僕の現在地
僕がこのカテゴリーの担当になってから今年で4年目だ。3年前、僕がこの子達を担当し始めた時に目的地とした姿は、賢い選手になって欲しいだった。相手を見て自分の武器を一番良い形で発揮できる賢さ、ピッチ上の課題を自分達で解決できる賢さ、これからカテゴリーが上がってどんなチームに行っても戦える賢さ、色んな賢さを持った選手を育てようだった。
U7、初めて少年団の1カテゴリーを担当した時、同じグラウンドでトレーニングする他のカテゴリーの姿に疑問を抱いた。「あれ、20年前に俺らがやってたトレーニングと同じだ」ドリル中心、サッカーが進化していく中で20年前と変わらないトレーニングがずっと行われている姿に嫌悪感すら抱いた。「よし、自分のカテゴリーだけでも変えてやる」そう意気込んで人と違う方向に走った。ただひたすらにコーンドリブルやリフティングを勤しむ先輩カテゴリーを横目にグローバルなトレーニングばかりを行った。認知!判断!実行!認知!判断!実行!てな具合に。
U7から団子サッカーを解消しようと当たり前のようにサッカーを伝えた。言葉を彼らレベルに咀嚼して、日常生活なんかと結び付けながらなんとか原理原則を伝えようとした。2年ぐらい前の山田のTwitterを知る人は自チームのトレーニングを上げていたのを覚えているかもしれない。キャッチーなトレーニングを考えては一見キラキラしたように見せていた。でも先輩達から言わせたら「若いな」と鼻で笑われるような勘違い野郎だったんだと思う。U12になった姿を知ることなく、自分が正しいと思ったものを先輩方のアドバイスも聞かずただひたすらに進んだ。それは中学生の参考書を小学生に読ませるようなもので。経験がある先輩達はわかっていてあのドリルを選択していたんだと、必要だがら20年前も今も変わらないのだと気づいたのは最近のことだ。
僕は自分の指導の在り方がすべて間違っていたとは思わない。子ども達の元々の能力から考えたらもしかしたら今ある彼らの姿がU10の今最大限に伸びた結果なのかもしれない。それでも今日のように個にフォーカスした結果、僕らよりもずっと賢さのあるサッカーを見せられると「あれ?うちは何で勝負するんだっけ?」となる。たまたま賢くできる8人が選ばれている可能性があって、あとはドリルの弊害を持っている選手がいるかもわからない。それでもうちは何が武器で戦っているのか?となることはある。
勝ちはお酒を飲んだようなもので、気分が良く色んなものをどうでも良くしてくれる。アイツがしたあのプレーも勝ったからもういいよとなることだってある。負けは素面みたいなもので、ありありと自分達に足りないものを見せつけてくる。酔ってないから色んなことが気になる。当然自信だってなくす。
指導者たるもの常に自分の現在地を見直す必要がある。どこかに偏っていないか(武器を作るという意味では全振りもありかと最近は思っているが)、子ども達の声は聴こえているか、先輩方のアドバイスは聴いているか、向上の火は消えていないか。
もう少し本気でフットボールと向き合えボケ。