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10年前の僕は

企業の人事部ではたらき始め、人材開発や組織開発という言葉に出逢った。「これはおもしろい」と自分の興味の形にバシッとはまったそれを暇を見つけては勉強している。

学校を離れて2ヶ月、今のところまったく寂しさがないのは、自分にとっては大人、子ども関係なく教育というものが格別におもしろいものだと知ったからであろう。

基本的に何を口にしても「美味い」か「めっちゃ美味い」しか感想をもち合わせていない僕は、仕事も同様に基本的には何をやっても美味しく感じるのだが、教育に関しては圧倒的後者であるらしい。

現在担当するインターンシップの仕事でも、どんなプログラムを用意し、各部署にどんな関わりをお願いすれば変容があるのか、そんなアイデアをチームで考えるのがとても楽しく、やりがいを感じている。

そんな中、先日たまたま東京から出てきていた人材開発室の方と1on1で話をする機会があり、対大人の教育者、対子どもの教育者、それぞれの立場からこれからの日本の教育を語り合った。小さな会議室の熱量が、日本の教育を本気で1mm動かそうという気概をもって。

「山田さん、IKEA行ったことあります?」

「そうですね、何度かあります」

「IKEAの家具の説明書って見たことあります?」

「ちょっと記憶にないですね」

「IKEAの家具の説明書って、イラストだけで書かれてるんですよ」

「え、文字の説明がないんですか?」

「そうなんです。全世界対応、誰が見ても組み立てられるようにって。わかりやすさを目指した企業戦略なんですが、かえってわかりづらかったりする。そうすると今の若い人たちってどうすると思います?」

「若い人たち…親に組み立ててもらうとかですか?」

「まぁそれもありますよね」

「あ、めんどくさいからそもそも買わないとかですか?」

「それ裏目ですね」

「あ、YouTubeか」

「そうです。自分で組み立てるより先にYouTubeで組み立て方を見つけるらしいんです」

「今は、ほぼほぼそこに答えがありますもんね」

「今の若い人たちって正解へのアクセスが上手になったんですけど、それって誰かの失敗の上に成り立っている生活なんです」

「なるほど。自分であれこれ探す前に、正解にアクセスできてしまう、わかります。だから失敗に慣れてないというか…」

「そうなんです。失敗を必要以上に怖がってしまうんじゃないかって思ってます。中学生はどうですか?」

「確かに失敗への耐性は低いかもしれないですね」

「新入社員研修をやっていても『正解はなんですか?』って聞く子が多い。君はどう考えるか?聞いてるのに」

「それはわかります。でもそれって僕ら大人のせいだったりもしませんか?」

「それはありますよ。親が失敗させないように育ててしまう。失敗の場を与えない。もっと自由にやらせて、転ばせてみればいいのに」

「僕は親じゃなくても、やっぱり子どもが苦労してる顔って無意識に避けたくて、ついあれこれ手を出しちゃうことはありますね」

「私もとはいえ、自分の子どもなら好きにやれとは言いつつ、躊躇しますからね」

「でもすごくいい子が増えてるなって感じるんです」

「そうですね、お利口な子が増えている。昔はいた、ちょっとやんちゃな子がいなくなってきた。中学生もそうじゃないですか?」

「そうですね。言われたことはきちんとやれますし、非行はほとんどないですね」

「言われたことがきちんとできるのは、指示されたことに応えることって道が示されているからほとんどリスクがないんですよね。でも言わたこと以外はできない子も顕著になっていると思いません?」

「言わてれないけど、自分で考えて良かれと思ったことをやるってリスクだったりしますからね。やって怒られたらどうしよう、間違ってたらどうしよう、なら言われるまで待とう。そうなると動けないんだと思います」

「これも大人が悪かったりしますよね。自分で考えて動けって言うもんだから、自分で考えてやったのに、失敗すると頭ごなしに怒っちゃったり、世間体を気にして認めなかったり。今の子どもたちの特性に、コロナ時代も相まって、アイデアがなんでもかんでも自粛されちゃった時代だった」

「そうすると、なんだやらない方がいいじゃんってなりますしね」

「一時流行った指示待ち人間なんかも、指示し過ぎた時代が生んだものでもあります」

「安全に失敗をさせてあげられる環境が必要なんですかね」

「そうなんです。僕ら大人がもっとそういう環境を受容していかないと、どんどん打たれ弱くなってしまいますからね」

「レジリエンスの話にもつながってきますね」

「その通り。レジリエンスみたいな言葉をよく聞くようになったのもそんな社会構造からです」

「挫折の経験ってやっぱり必要だなと思うんですよね。挫折から立ち直った経験とか、思ってたのと違っても意外と人生なんとかなるんだなっていう解釈とか、そういうの積み重ねると失敗もどうってことなくなるというか」

「まさにそうなんです。聞くところによると今高校受験もみんなあんまりチャレンジしないらしいじゃないですか」

「そうですね、みんなちゃんと自分の身の丈にあったところ選びますね」

「親も15歳で挫折は早いって言うらしいですからね」

「どの程度の挫折が必要かは確かに考えものですからね。全然話変わるんですけど、社会出たら体育会系が強いっていうのはアレまだありますか?」

「うーん、体育会系は理不尽に耐えられるから強いみたいなイメージがあったのは昔のイメージじゃないですかね。今は思った以上に体育会系も弱くなってしまってきているし」

「なんか、僕のイメージだと体育会系は挫折経験も多く、レジリエンスも高そうなんですが」

「好きなことしての挫折と仕事の挫折の質が違うからなんとも言えないですね。好きなことじゃないと意外と耐えられなかったりする」

「なるほど。自分の思い通りにならない仕事の中でもどれだけ頑張れるか?みたいなことが大事なんですかね」

「だから面接の時に必ず聞くことがあって『全然やりたくないけど頑張ったことってありますか?』って」

「なるほど、どんな経験でもとりあえず挑戦してみよう、そんなマインドセットの人は強いですよね」

「学校戻ったら、是非子どもたちにはそんなチャレンジをさせてあげてください。ほら、みんなすごくいい子だから応援したくなる」

「ありがとうございます。僕自身も今の人たちに近い感覚をもってしまっているので頑張ります」

10年前の僕は

大人の代表、教員の代表みたいな顔して対談してきたけれど、10年前の僕だってきっと失敗は怖かったし、できることならすぐに正解を教えてほしかった。

それってきっと、20年前も30年前もそうだったんじゃないかって思う。初めて社会に飛び込んだ人間が、そこで生きる術として、すぐにそこの正解をほしくなることって別に時代だからってわけでもないんだろう。

それに「最近の若者は」に続く言葉は十中八九ネガティブであることが多いのだけど、僕は最近の若者の凄さに感服することだって多い。

とにかくクリエイティブだし、みんなまじめだからとにかく勉強するし、大人顔負けのアイデアで社会に貢献しようとしている。

以前、あまりに子どもたちが受け身なものだから学級への関わり方を意図的に変えたことがあったんだけど、2週間で子どもが変わったなと思うことがあった。

でも「考える力が2週間で身についた」と考えるには、あまりに安易な気がするのだ。

本来ずっと難しい数学の問題を考えられる子どもたちが、考えなくても済む状況を作ってしまっていたのだと考える方が自然である。

その時にある子どもが日記に書いてきた「最近自分たちで考えて動くことの楽しさを感じる」というのがきっと若者の代弁だろう。

子どもたちは手っ取り早く正解を知って、早くより良い人生を手にしたいわけではないのかもしれない。

自分たちの意思(意志)で行動を選択して、それが上手くいこうがいかまいが、その結果を楽しみにしている。

上手くいかなかったらいかなかったで次どうしようか?と頭を悩ませることを楽しみにしている。

それをはじめから上手くいく方法だけを与えられることで、楽しみを奪ってはいないだろうか。

10年前の僕が今の若い人たちを見たらきっと、羨ましく思うだろう。

なんで君たちはそんなことができるんだいって嫉妬に狂う。

そんな取るに足りなかった10年前の僕だって、「こんなんじゃいけない」を胸に宿して、精一杯生きてたら今じゃそこそこイケてるなって思うんだから、

若者よ、

自信をもって生きてくれ。

君たちの価値観が10年後の社会の価値観になるのだから。

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