11月、アイスタの君が代は
11月に代表戦がアイスタであるらしい、そんな噂を早々に聞きつけ、部活の日程も決まらない9月の頭に気づいたら知り合いづてにチケットを3枚、自分と両親の分を取っていた。
この代表には立ち上げ当初から三戸舜介(アルビレックス新潟)が呼ばれているから、そこはかたいだろうと。もし呼ばれたら自分が関わった生徒の活躍を両親に見せてあげることができる。教え子のJリーガーが増えるたびに誇らしげに彼らの話をし続ける僕の話をいつも嬉しそうに聞いてくれる両親にちょっとした親孝行のつもりである。そう見事なまでの他力本願による。
目指していた大会に勝ち進むと行けなくなってしまう代表戦、悲しいかな初戦で逆転負けを許し幸か不幸か代表戦の方に行けることになった。僕もサッカーの指導者としてこの大会に懸ける想いは大きかったため、相当なまでに落ち込んだ週末のこと。
上がらないテンションを引き攣った笑顔の裏側に隠して、なんとか最後の授業を終えてコーヒーと共にふとネットに目をやる月曜日の夕方、飛び込んできたのは植中朝日(横浜Fマリノス)追加招集のお知らせ。ひとつのニュースで世界の見え方なんか変わる。行くことが決まっていた代表戦にまたひとつ1週間仕事を頑張れる理由ができた。
本人は「追加でラッキーです笑笑」と絶対笑ってないであろうテキストで報告してくれたけど、そのラッキーを自分の力で引き寄せるだけの活躍が見られた移籍初年度シーズン終盤の活躍だったと思う。
物心ついた時にはサックスブルーの血が流れているジュビロサポの僕だから、熱狂的なエスパサポで溢れかえる職員室でサッカーの話は極力控えていた最近だったけれど、背に腹はかえられぬ、普段は足を踏み入れることないアイスタという未知の情報を得るためにたくさん気を遣ってはエスパサポに歩み寄った。
「あのーなんていうか、残念だったね。あ、でも、でも…あと2試合楽しめるというか…あ、あ、そういう意味じゃなくて…なんていうか、座禅行くんだっけ、いいよね座禅。気持ちが落ち着くからビルドアップもよくなりそうだし、俺もやろうかな座禅…えっと、山形だっけ?あ、山形ね、えーと山形プレーオフになるとキーパーがコーナーに参加し始めたり奇行に出るから気をつけた方がいいというか…えーと、その、あの、アイスタって駐車場どこ停めればいい?」
遠足気分と言うけれど、遠足なんて疲れるだけだからあまり得意ではなかった自分にも、前の日はこれぞ遠足気分という感じで眠れない日があった。
当日は3時間前にはスタジアムに着き、11番と14番のキーホルダーを買いに並んだ。歴代の代表ユニに身を包んだサポーターだけでなく、マリノス、アルビ、エスパルス、セレッソ、FC東京、バイエルン…色んなユニフォームが並ぶ。改めてみんなの代表なんだと感じて嬉しくなった。お母さんは「アイスタでジュビロのポンチョ着てると後ろから刺されるのではないか?」と心配していたけれど、そんなことなら着てくればよかった。知らなかったけど11月の日本平はくそ寒い。
ジャイアンツのユニ着てる人に「お前だけは違うぞ」と思ったけれど、いや待てこれはアルゼンチン側の可能性があると招集メンバーを確認したがやはりジャイアンツ所属のやつなんていない…ん?マスチェラーノ!監督マスチェラーノなん!
唯人の凱旋に沸くアイスタ、影山はいないのかと血眼になって探すおじさん、僕にもあったようにきっとそれぞれが代表戦を楽しみにしている理由があった。
たまたま座った席の真下に、UENAKAのバナーが掲げられた。何かしらの運命を感じる。そして僕のいない間にお母さんがそれを餌にしてマリノスサポとアルビサポと朝日と舜介の話で盛り上がっている。「うちの息子が2人の先生で…」悪徳商法と同じ手口である。
思えば朝日には他にも色んな運命を感じることがあって、クラブユースでもプリンスでもSBSカップでも、自分が行ったゲームでは必ずゴールを見せてくれたし、プロになってからも観に行くと決めたゲームでリーグ戦初スタメン、そして今回も代表追加招集とちゃんと楽しませてくれる選手だった。そうなると僕が勝利の女神だと錯覚しそうだが、単純に彼がたくさんゴールを決めていて、毎回決めるから行った時にも決めているというだけのカラクリである。となると僕は勝利の女神の関係者ぐらいの位置付けである。
スタメンが発表されると名だたるタレントの中に''三戸舜介''の名前がある。これは不思議な感覚だった。そうか、もうそういう選手なんだなと感慨深くなった。あんなに小さかった舜介が日本代表のスタメンで出ていることに泣きそうになったが、入場してきた彼はやっぱり小ちゃかった。
僕には小学生の頃、毎年七夕の短冊に書く夢があった。
「日本代表になって君が代を歌うこと」
その夢は叶わなかったけれど、教え子が代表に選ばれて一緒に国歌斉唱するという人生の中で指折りの震える瞬間を経験した。
「生きててよかった」
ポツリとこぼしたそんな言葉に「やめてよ、死にたかったことがあるみたいじゃん」と母親に怒られた。深い意味はなかったのだけど。
ただ人生の中でも心が震える瞬間をそんなに経験したことがあるわけではない僕は、こういう時に使う言葉を間違えてしまっただけなのだ。これから先もっとこういう経験が増えれば上手に言葉を選べるだろうか。
叶わなかった自分の夢を、胸の震える君が代を歌うことを2人が叶えてくれた瞬間だった。
ゲームが始まると右サイドの三戸舜介は相変わらずキレキレだった。とにかく速いし、ボールを持つととにかくワクワクする。WGのタスクを背負いながら、インサイドでもプレーできる。気付いたら左サイドにいる。あの身体からは想像できないシュートをもっているし、ちゃんと守備ができる。きっとアルビがよかったんだろう。ちゃんとサッカーできるクラブに拾ってもらって、ちゃんとサッカーを学べる環境があったこと、彼のよさをわかって大切に使ってくれる人がいたことがよかったんだとサッカー選手として大きくなった彼を見て嬉しくなった。涙が出そうになった。御殿場の田舎で育った素朴な少年の髪色がチャラついてるのもきっとアルビのせ…
僕の知っている中では多分、今日本で一番サッカーを楽しそうにプレーする選手である。W杯の後に日本中がミトマちゃんに沸いたように、オリンピックを終えると恐らく日本中がミトちゃんに沸く。そしたら僕はバスケするミトちゃんやソフトボールをするミトちゃんの昔の映像をファンに高値で売ろうと目論んでいる。だから舜介、マジで頑張れ。
朝日はゲーム前にUENAKAのバナーの後ろにいることを伝えてあったからか、ハーフタイムのアップ中に手を振ってくれた。僕はというと未提出者一覧にある自分の名前に「いや出したと思うんすけどね」と手を振るぐらいの経験しかない。
高校生以来の2人の共演を心待ちにした後半。
そして69分。朝日がピッチに送り込まれた。
まさかの舜介OUT→朝日INというオチ付きだったけれど。大丈夫、チャンスはこれから何度だってある。
代表のユニフォームに身を包んだ植中朝日の登場は、たくさんの上手くいかない時間を経験してきた彼がもがきながら手にした大きな成果だった。ゲームに絡めない時間もトレーニングを継続した線の細かった白い肌の少年が、プロだなと感じる強い身体をSAMURAI BLUEのユニフォームに袖通している。「マリノス強度エグいっす」移籍してすぐにマリノスのTRの強度がとにかく高いこと、それでも自分のサッカー観が変わるほどおもしろいから観に来てほしいと教えてくれたこと、そんな環境に揉まれて彼は代表まで登り詰めた。長崎でキャリアを始め大切に育ててもらった青年が、J1王者横浜Fマリノスで鍛えられて今日の日を迎えている。
限られた時間の中で得点こそなかったものの、大柄なアルゼンチンの選手に対しても前線の高い位置でターゲットとしてボールを収めることができる。下りるタイミングもよければ、ファールをもらう位置もいい。マリノスに行ってから特にそれが見れるようになった。マリノスの丁寧なB-upの文脈の中では、前線に彼のような選手を置けるからこそボールを保持できる。また常にゴールを狙うために背後に飛び出せる、ボールの移動中に3人目になりにいける、ゴールの匂いがわかりすぎる天性のストライカーだからこそコンスタントに結果を残すのだ。JFAが育てたかった理想のFWの姿が植中朝日にある。
同じポジションには細谷真大、藤尾翔太、小田裕太郎、福田師王がいる。ライバルは多いけれど、僕は代表のストライカーが彼に託される未来を信じている。
5-2で大勝を収めたゲームにおいて2人はちゃんと存在感を示した。20ちょっとの若者達があれだけのサッカーをするようになった。日本のサッカーもだいぶ進んだよなぁと、進まないのは松木さんの解説だと帰って中継を見直してそう思った。
ゲームの後にはUENAKAのバナーの前に2人で来てくれて、こちらに向けてポーズをくれた。今の彼らの顔にはたくさんの苦労と上手くいかない時間に支えられた自信が見える。
11月、アイスタで歌った君が代は僕の夢を叶えてくれた歌であり、彼らの旅立ちの歌でもある。
こうして彼らが世にバレればバレるほど僕はたくさんいるファンの一人になっていく。遠くに行けば行くほど僕の声は届かなくなる。でもそれでいい、それがいい。それが嬉しいのだ。まだかろうじて一緒の時間を過ごしたことがあることを信じてもらえるけれど、いつか真実味のない本当になってしまうぐらい遠くに行ってくれ。
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エピローグ
「将来の夢とかないんですけどー」私は面接カードの将来の夢が埋まらない。「トリアエズ、コウムインッテカイトキナサイ」親がそう言うからそう書いたけど、公務員って何かもよく知らない。安定って何?よくわからないけど書いたら埋まったことで安心したのに、いざ出そうと思ったら苦しくなって消してしまった。消しゴムの跡だけが汚く残る。
「将来の夢とかないんですけどー」自分は面接カードの将来の夢が埋まらない。本当は好きなことがあるけれど、さすがに中3でこれは笑われる。大人に笑われない夢にしよう、何だろう?笑われない夢、叶いそうな夢、白いまま期日だけが迫る。
「将来の夢とかないんですけどー」15歳、面接カードの将来の夢が埋まらない。無理もない、15年しか生きていない経験の中で選ぶことができる夢は、それまでに出逢った経験の枠を出ないから、知らない夢は選べない。それだから身近な人の仕事やテレビの向こうに憧れた人の姿から選ぶしかないのに、やっと見つけた夢には東京にはもう同い年の凄いやつがいることをSNSが教えてくれるせいで、自分程度の好きじゃ夢と呼んじゃいけない気がしてしまう。難しい時代に生まれた子ども達に僕はなんて伝えたら彼らの背中を押せるだろうか?「別にいいのに、自分が好きだと思ったら好きで、幸せだと思ったら幸せで。自分の幸せをなんで親が決めるのさ」そんなこと言ったら、「先生はどうせ私の気持ちなんかわからない」そう怒らせてしまうだろうか?
「ねぇみんなは夢って叶うと思う人?」
「夢は叶うってあれ嘘っすね」
「夢をもてとか、あきらめなければ夢は叶うみたいなのちょっと痒いです」
「先生はどっちですか?」
「あー今のみんなの夢が叶うかどうかはわからない」
「じゃあ夢は叶わない側ってことですか?」
「いゃそうとも言い切れなくて」
「と言うと?」
「夢ってきっと色んなことを知った先にあると思うのね。視界が悪いうちは遠く感じるの。でもね、色んなことを知っていくうちに例えば自分はパソコンをいじるのが好きなんだとか、料理が人より得意なんだとか、何かを書くのが幸せなんだとか、なんでもインスタにアップしたい人なんだとか色んなことに気づくと思うのね」
「ほう」
「そうするとね、本当の自分のことが見えてくるはずなの。夢だと思っていたけれど、あ、本当はこれ親に言われ続けたから夢だと思い込んでただけなんだとか、なんかかっこいいから夢だって言ったけど本当はそんなになりたくないんだとか。今の夢が叶うかどうかはわからないけれど、色んなことを知っていく中で手の届きそうな夢が生まれて、それが叶っていくと思うんだよね」
「大人になるまでわからないってこと?」
「それは経験値や見えたものの数によるから、一概に言えないけれど大人になると選びやすくはなると思う。そこには多少のあきらめも含むね」
「妥協すれば夢は叶うってことですね」
「妥協って言うとネガティブな感じだけど、自分の道じゃないことが明らかになっていく。それは単なるあきらめとは違う、なんかポジティブな選択なのね」
「で、先生の夢は叶ったんですか?」
「うん、昔描いた夢ではない形を変えた夢がこの間ね。アイスタで君が代歌った時の話なんだけど…」
私の担任は話が長い。でも好きなことをちゃんと好きって言う。
僕はこの年になってまたひとつ叶った夢の素晴らしさをつい自慢したくなった。15歳、焦らずじっくり色んな世界を見ながら形を変えていく夢を楽しめばいいなって思う。
いくつになっても夢が叶うことを教えてくれた2人は、何年も前からずっと形の変わらない夢を掴みかけている。
11月、アイスタの君が代は、
ちゃんと誰かの夢に値する。