言葉にすれば
合唱コンクールの表彰式。流れることを期待したイントロと呼ばれなかったクラス名は小さなため息となって隣のクラスの受賞の喜びに掻き消された。
心拍数が上がり、体温も2度ほど上昇して何も考えられなくなってしまうあの感覚は、人生で一番悔しい日と決めた今年の夏を思い出す。
上手くなってしまった分、期待してしまった分落ち込みがひどいのは僕も子どもも同じで、体育館から教室に戻るまでの短い時間で昨日眠る前に考えた受賞後に話すことと、受賞できなかった時に話すことの後者を選んでもう一度整理をしたのに、いざ子どもの前に立つと何も喋れなくなった。
いゃ、その目は''今は何も受け取れない''、そんな目をしていたから、考えてきた綺麗な言葉は届かないだろうと勢いで口から出掛けた言葉を戻したのだ。
予め用意された綺麗な言葉でネガティブを無理やりにポジティブにひっくり返される鬱陶しさがあることは僕も大人だから知っている。
「本当に悔しいと何を喋っていいかわからないね、ごめんね。でも楽しかったし、嬉しかったね」
''言葉にしたら言葉が気持ちを上書きしちゃう気がしてさ''
今日大きな悔しさにマスキングされて見えづらくなってしまった感情には、楽しさだって嬉しさだって絡み合っているのに、言葉にするとその複雑が面倒で今の感情に都合のいい部分だけを削ぎ落としてしまう気がするのだ。
勝ち負けよりも大事なことがあること、他との比較ではない自分たち自身の成長があったこと、それだけで十分じゃないかと思えるにはもう少し時間が必要で、もう少し先、教室で生活する時にふと溢れた笑みや温かさがそれを教えてくれるといい。
アンバランスな男声と女声のバランスが取れ始めた時には、鳥肌が立つぐらいに綺麗なハーモニーがあった。
「合唱はそれぞれの好みだから」
誰かの好みにはなれなかった今日も、少なくとも僕の好みではあった。泣きそうになるぐらい好きだった。帰り道に何度も聴いた大切な曲になった。
各クラス担任の先生とみんなのドラマがあってちゃんと自分たちが自分たちの合唱を好きでいられたならそれはとてもよい時間だったね。
言葉にできなかった今日の日が、少し先で言葉になりますように。
言葉にすれば、、、
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