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195.ささやかな謎

かじかむ手を擦り合わせ、冷気が漂う国道沿いに立つ。

数年前の冬のある日、私はバスの到着を待ち侘びていた。駅前へ酒を飲みに行く為にバスを待っていたのだが、冬道の渋滞で遅れているのだろう。なかなか到着しない。バス停には私の他に20歳前後と思われる若い女性がいた。可愛らしい、おモテになりそうな女性である。

通り過ぎる車が巻き起こす風を浴びながら、私は今か今かとバスが来る方角を眺め、若い女性は取り憑かれたようにずっと携帯をいじっている。

程なくして、ようやくバスが到着した。

私はバスに乗り込み、車両後方の空いている席に座ると、先程の若い女性は私の前の席に座った。それを確認すると、暖房の暖かさを感じながら外の景色を眺めていた。バスは走り出したが、交通量が多くなかなかスムーズに進まない。周りの車のドライバーも退屈そうに前方の車を眺めている。

バスに乗って数分経った頃、私は視線を外の景色から車両前方に向けた。すると不意に前の席に座っていた若手女性の携帯画面が目に飛び込んできた。見る気は無かった。はからずも覗き見した形になってしまった事に罪悪感を覚えながら再び視線を外に向けた。

『(・・・女の人の写真だったな・・)』

誤って見てしまったその子の携帯画面には金髪の女性の写真が写っていた。SNSの画像なのか何なのかは分からないが、その子とは異なる別の女性の写真(その子は黒髪)。友人の写真だろうか、あるいは興味のある誰かの写真なのだろうか。

『(・・・まあ、どうでもいいけど・・)』

そう思いながらしばらく外の景色を眺めていた。

数分後、視線を車両前方に向け、車内の様子を伺っていると、再び若手女性の携帯画面が目に飛び込んできた。本当に見る気は無かったのだ。だがまたも視界に入り込んでしまった。私は早めに目を逸らし、窓の外を眺めた。

『(・・・さっきと同じ写真だったな・・)』

そう、若手女性は数分前と同じ写真を見ていたのだ。金髪の女性が自宅っぽい部屋で1人で写る、カメラ目線の写真。単純に"何故同じ写真を延々と見続けているのだ"という疑問が湧いてくる。少なくとも私には無い感覚。一体どういう意味なのだろうか。そんな事を悶々と脳内で考えながら外を見続けた。

それから更に数分経った後、私は思った。

『(・・・まだ見てんのかな・・)』

覗き見の趣味は無いが、これは単純に気になる。好奇心というやつである。そして私は好奇心という感情に弱い。出来る事ならばこの女性に声をかけて、どういう感情、どういった経緯でその様な行動を取っているのかインタビューしたいところであるが、この世にはモラルやマナーというものがあるのでなかなかそれも出来ない。

という事で今度はあえて覗き見る事にしてみた。

『(・・・若者よ、すまんな)』

そう心で唱えながら私は一瞬だけ視線を前方に移した。すると、その女性はまだその画像を見続けていた。だが、今度は人差し指と親指を使ってその画像を拡大していた。iPhoneが出来うる最大拡大よりも更にズームしたいらしく、画像がプルプルする程に拡大している。

『(・・・な、何をしとるんだきみは)』

その子は写真の女性の後ろに写っていた小物?アクセサリー?の様なものを拡大化して見ている。一体何なのだ。何故そんなものを見ているのだ。困惑しつつも"数秒だけだが、さすがにこれ以上直視するのはいかがなものか"と、視線を外した。

『(・・・なんだ?何が起きている?)』

例えば写真の女性のファンで、その子の持つアイテムは把握したい、同じ物を手に入れたいという事なのだろうか。それとも何かしらの理由でその女性をライバル視しており、執着に似た感情でその子の所有物を監視しているのだろうか。

であれば若者よ、そんな行為はおやめなさいと心で訴える。モノに頼ったり、執着したところで貴様の本質は変わらんぞと。他者との比較で振り回されるなと。他者より優れている、劣っているという物差し自体が無意味なストレスの根幹なのだと。自分と向き合って自分の人生の意味を考えろ若者よ。そう講義をふるった。

もちろんそんな心の声などこの若者に届くわけもなく、駅に辿り着くまでの間、ずっとその娘は同じ画像を見続けていた。わけが分からん。

駅に辿り着いた私はバスを降り、颯爽と喫煙所へ向かった。タバコに火をつけ煙を吐き出しながら先程の事を思い出し、再び思う。

『(・・わけが分からん・・)』

あの行為に一体何の意味があるというのか。いやしかし、あの子にとってはそれが大事な事なのだろう。仮に執着だとして、執着心を抱き画像を眺め続けたその先にある感情は何だったのだろうか。私には知る由もないが、いつか無意味という事を見出す日が来るのだろう。今はその過程なのかもしれない。そんな事を考えながら喫煙所を後にした。


横断歩道に辿り着き、赤信号で止まる。青になる時を待ちながら、かじかんだ手を擦り合わせる。この頃になるとすっかり先程の件は考えなくなっていた。信号が青に変わり、寒空の下を私は歩き出した。目的の飲み屋へ向かいながら、雑踏の中を進む。

『(・・・ん?・・あれ?・・あれれ?)』

その途中、チェーン店の居酒屋に入っていくあの若手女性の姿が見えた。遠巻きに眺めただけだが、多分あの若手だ。その横には金髪の女性。2人並んで店内へ入っていった。あの金髪女性はあの画像の子なのだろうか。定かでは無いが仮にそうだとしたら、ちとややこしいものを見てしまった気がする。

あの2人が友人関係なのだとしたら、飲みに行くほどの関係性なのだとしたら、その片割れは数分前とまでその友人の画像を凝視していたという事になる。何だか知らないが、闇が深い気がするのは私だけだろうか。

何がどうなっているのか聞きたいが、きっと次にその若手女性とすれ違っても顔も覚えていないだろう。真相を知りたくても、もう知る事もできない。

胸の抱いた好奇心だけが心の中で宙ぶらりんになり、数年経った今も忘れられない記憶になっている。

おわり

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