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181. 私とエニシダ君の700日 後編
《あらすじ》
エニシダ君という名の植物を屋内で育て枯らしかけるも、家の前の土に植え直した所、1年半をかけてとんでもない大きさに成長した。その矢先、大家からこんな通達を受ける事になる。
『今、敷地内の除草したり庭木の整備してるんだけど、山田さんちの前の大きな植物も刈らせてもらうね』
エニシダ君、伐採の危機である。
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私は突然の言葉に息を飲んだ。ちょっと待ってくれと。確かに大きくなり過ぎたが、エニシダ君なりに精一杯リボーンしたのだ。ここまでの歴史を知らずにのうのうと何を言ってくれているのだ。
いずれ伐採する日が来る事も少なからず想定していたが、それをやるにしてもそれは大家の役目では無い。どうせやるならここまで見届けた私の手で仕留める。そんな事を思った。
そして悲壮な決意を胸に《私がやります》と伝えた。《ただ、いまだ緑が残る生木を切るのは気が引けるので、冬に枯れ果てたその時、来たるべき時が来たら私の手で介錯します》という旨を伝え、その場をしのいだ。
あまりに唐突な展開に戸惑いを隠せなかった。確かに大家の言いたい事は分かる。あまりにも育ち過ぎてこのエリアだけちょっとした森になっているのだ。このままいけば隣の敷地に侵食し始めるだろう。
私は腹を括った。
【エニシダ君が朽ちたその日、長く続いた彼と私の物語を終わらせよう】
そう心に誓ったのである。
エニシダ君が枯れるまであと何ヶ月だろうか。
あと何回水を上げられるだろうか。
名残惜しさや懺悔の気持ちなど複雑な心境を胸に冬を迎えた。
─半年後─ 2024年 春前
『(・・・おい・・エニシダ君・・一体どうなってるんだきみ・・)』
エニシダ君、全然枯れなかった。
大家に伝えた"枯れたら刈る"を実行する隙が一切無かった。どういう事だ。これは何と言い訳すれば良いのだろうか。頭を捻ったが
『(・・・まあ・・いいか)』
一応私は"枯れたら"と言ったので嘘はついていない。いつ大家に再警告を受けるか分からないが、とりあえず何か言われるまで放置する事にした。
一方、エニシダ君は寒さに負けるどころか越冬しながら成長するという離れ技をやってのけ、更に大きくなっていた。
そのサイズはおおよそだが高さ1.5m、幅2.0m程度。いつの間にこんなに強くなったのだろうか。そこには、あの頃見ていたミイラ寸前のエニシダ君の面影は無くなっていた。
気温が暖かくなるにつれ、エニシダ君の枝葉は緑を濃く強くなってゆく。そして迎えた開花時期の5月。
『(・・・エニシダ君・・謙虚って何かね)』
エニシダ君はとんでもない量の花を咲かせ、その存在をまざまざと見せつけたのだ。その姿は豪華絢爛。むせ返る程の花の香りも放っていた。レモン系というのだろうか、数m先からでもハッキリ分かる強い匂いである。
なんやかんやあったが、しっかり開花したのだ。その成長自体は喜ばしい事である。それにここまで派手だと、しばらく大家も何も言えないだろう。
だが、それを黙って見過ごさぬ者達がいた。
朝、日課の水やりをしようと玄関のドアを開けると虎視眈々とエニシダ君を狙っていた奴らがそこにいた。《ヴヴヴヴヴ》と、なかなか勇ましい音を鳴らしエニシダ君と接触している。
蜂さんである。
それも1匹や2匹じゃない。ぱっと見で5〜10匹くらいいた。しかも数種類の蜂である。あまり詳しくないが確認できたのはミツバチ、クマバチ。これが8割を占め、アシナガバチ、スズメバチが1匹づつ飛び回っていた。
めちゃくちゃ怖い。水をやろうにも近づけない。近付いたらこの中のどれか、というかあの極悪同盟(アシナガバチとスズメバチ)が私に攻撃を仕掛けてくるであろう。とりあえず私が全幅の信頼をおき、家に常備している蜂撃退スプレーを噴射して状況の改善を図った。
数時間後、様子を見てみると、あのスプレーにどういう成分が入っているのかは不明だが、極悪同盟だけがいなくなり、ミツバチとクマバチは変わらずに過ごしていた。極悪同盟はそれ以降姿を見せる事は無かったが、翌朝は昨日より数を増やした蜂達がエニシダ君の元に集結していた。
『(・・・・・・)』
羽音を響かせながら蜂さん達がエニシダ君に群がる。そんな光景を遠巻きに眺めていると感慨深い気持ちになった。
なんというか、華やかな装飾に彩られ輝きを放ち存在感を見せつけている。日々成長し、夢を掴んだその姿、ファンを魅了するその振る舞いはスターそのもの。
ガリガリの売れない時代から応援していた私にとっては喜ばしい事である。そんな光景を眺めながら目を細めた。
次の日もその次の日もファン(蜂)はスターエニシダの元に集結した。エニシダ君から多少のドヤ感すら感じられる。
だが連日蜂さんに囲まれる彼を見ている内にふとこんな事を思う様になった。
『(ファンていうか、蜂は蜜を搾取してるだけだよな)』
そう思うと少し見え方が変わってきた。
"スターとファン"というか"金持ちになったエニシダ君に群がるハイエナ"という構図に見えてきた。
ガリガリの時代から付き合いのある私はその全てを見てきたが、これまで彼が成長していく紆余曲折の過程の中、エニシダ君に見向きをする者などいなかった。ところが羽振りが良くなり目立ち始めた途端、さも仲間の様な顔をしてエニシダ君に取り入る者が増えたという構図。
エニシダ君はこの事についてどう思っているのだろうか。無意識に大きな勘違いなどしていないだろうか。これを本当の味方だと思い込んでやしないだろうか。
もしかして花があるからこそ自分に価値があるなどと思い込んでやしないだろうか。だとしたらそんな事は無いぞエニシダ君。咲かせた花は凄かったけど、私はガリガリだった君も越冬した君もなんだかんだ他の花を枯らした君も好きだったぞと。
エニシダ君は心のどこかで蜂の様に群がらない私に対して"オイラをチヤホヤしないスカした巨人"とでも思っていやしないだろうか。そう思っているのなら勘違いだぞエニシダ君。私は君に対する態度は変えてないぞ。勝手に君の見方が変わっただけだぞと。
もし仮に私が派手な衣装を着て玄関から出てきたらエニシダ君はどう思うだろうか。"オイラ以外の奴にそんな派手な装飾は許さない"などと嫉妬しないだろうか。だとしたらそれはお門(かど)違いだぞエニシダ君。誰かと比較して優劣を決めるなんて意味が無いぞ。自分の価値や幸せは自分で生み出すものだぞと。
そんな事を考えながら長々と玄関先で立ち尽くしてしまった。
蜂さん達に対して"ウチのエニシダ君に何してくれてんだ"とは思うが、奴らはとても痛い針を持っている。実際に『もうやめてくれえ』と止めに入った結果、めちゃくちゃ刺されたら大変だ。病院に行ったとて何と説明したら良いものか。『いや、ウチのエニシダ君がですね・・』とでも言うのだろうか。そんなイカれた所業は出来ないぞ。
なのでこれまで通り傍観する事にした。
それから1週間程経つとエニシダ君に変化が現れた。開花時期を終えた花が順々に花びらを落とし始めたのだ。そして2週間経つ頃にはおびただしい数の花びらが地面に溜まり、完全に花が散ってしまった。そして今年も
『(ナイスリボーンでした。エニシダ君)』
と心の中で拍手を送った。
その頃になると玄関から外へ出ても、もう羽音は聞こえなくなっていた。金の切れ目が縁の切れ目というのだろうか。あれだけ群がっていた蜂さん達は1匹残らずどこかへ行ってしまったようだ。
蜂が花の蜜を吸うという、自然の摂理に対してこんな事を言うのもアレなのだが、ちょっと薄情さを感じてしまった。いや仕方ないのだが。
結局残されたのは昔と変わらず私とエニシダ君である。花を落としたエニシダ君は力強く色付いていた緑を霞ませ、哀愁すら漂う姿になっている。
開花時期は過ぎた。次に待ち受けるのは大家に言われていたエニシダ君伐採の儀だろう。
このまましれっと引き延ばす事も出来るかもしれないが、それもここまでと思われる。成長を止めないその枝葉はついに隣の敷地まで侵食しつつあるのだ。
6月9日現在、今の所エニシダ君はまだ存命しているが、いつか訪れるXデーは近いだろう。
という、総じると大した話ではなかったかもしれないが、これがエニシダ君を見守った約700日の話である。様々なドラマを見せてくれ、様々な事を考えさせてくれた。ありがとうエニシダ君。
おわり