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【図解1516】2022年は「余白を味わう年」にしたい

【特殊型】2021年は予定のない時も自分で時間の余白をなんとなく埋めてしまい、実感の薄い時間が多かった。

2022年は「余白」を味わう年にしたい。



新年あけましておめでとうございます。今年も「#note書き初め」として、今年大切にしたいことを図解で描き初めしてみました。

タイトルにもある通り、今年は「余白」を大切にしたいと思っています。

余白と言っても色々ありますが、ここで言う余白は「時間の余白」のことです。

図解などデザイン上の余白は、一度作れば変えない限りそのまま残ります。

それに対して、時間の余白は「予定を入れない」だけでなく、「『今』を埋めようとしない」という2つの要素があるように思います。


1つ目の「予定を入れない」は「事前に予定を入れすぎないこと」というそのままの意味です。

これは図解で1枚の中に図や文章を詰め込みすぎないことと通じる面があり、一般的に余裕を持つ、余白を作る、という場合はこの意味のことが多いでしょう。

私の場合は体力的に無理が効かないのもあり、スケジュール上の予定は割と少ない=余白があることが多く、この意味では問題ありません。


2つ目の「『今』を埋めようとしない」は、「当日に予定がない時間を無理に行動して埋めようとしないこと」です。

たとえば私の場合、予定がないとそれを埋めようと、半ば惰性でカフェに行って読書をしようとしたり、ゲームをしようとするところがあります。

カフェでの読書やゲームそのものが悪いのではなく、「予定がない時間を埋めようと、半ば惰性で行う」という部分が自分の満足度を下げているように感じました。

また、昨年のテーマは下の図解の「ニュートラル」でしたが、私は良くも悪くも目の前のことにかなり集中する(言いかえれば視野が狭くなる)性質があります。

この「予定のない時間を埋める」時も、埋めるものに集中して前のめりになってしまい、ニュートラルになれなかったという反省がありました。

そういう意味でも「『今』を埋めようとしない」は巡り巡ってニュートラルにもつながるように感じています。


少し言葉遊び的になりますが、厳密には時間には「完全な余白」はありえません。

ぼーっとしているのは「ぼーっとする」ですし、昼寝は「昼寝をする」ですし、坐禅は「坐禅をする」という「行動」にそれぞれ時間を使っています。

病気などで完全に意識を失っている場合は行動をしていませんが、その場合は余白というより「無」というべきでしょう

なので、「余白の有無」というよりは「余白の濃淡」という方が適切なのだと思いますが、なんにせよ自分の人生を感じられる程度の余白は欲しいと思っています。

今までの経験からも、時間の余白は心と頭の余白につながり、その余白にその時々で感じたものが浮かび上がってくるものです。

特に私は感情が薄い面があり、その時々の自分を「感じる」には十分な時間、心、頭の余白が必要なようです。

達人なら初めから心と頭の余白を作れるのかもしれませんが、その境地に達していない私は時間の余白を作ることを通して、心と頭の余白を作っていきたいと思っています。


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山田太郎 | 図解描き / 山田スライド工房
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