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【hint.456】「すげぇ嫌い」に負けちゃってない?

昨日の朝に書いた文章の流れで、RADWIMPSが思い出された

「そうだ、ちょうど本あるやん」

そう思い、今朝はその本をパラパラとめくってみる。

これがやっぱりね、おもしろかった。

 でも最近変わった。
 なんか、もうひとりの自分がいたとして、その彼を好きでいられるように生きることが、必ずしもいいことのような気がしなくなってきた。
 今の自分をちゃんと愛せてもいるから。ちゃんと。
 嫌なところがわかりすぎて苦しいだけで、ちゃんといいところも知ってる。
 だからつまり、すげぇ嫌い、でもすげぇ好き。
 この宇宙を見渡して、好き嫌いの両端に立つのが自分なのです。

 もしかしたら、僕の最愛の人というのは、
 そのふたりの手と手を取って
「はい、仲良くね」と繋がせて
 言ってくれる人なのかもしれない。
 そして僕も同じように、その人の中の手と手を繋いであげられる人。
                        2014年3月16日(日)
(「『ラリルレ論』著:野田 洋次郎 文藝春秋 2015年5月15日出版」より。以下の、引用部も同様。)

これは始まりのページのいち部分。

今回もいきなり掴まれてしまった(前回読んだ時もそうだったのかな〜)。

こういう感覚、わかる気がする。

そしてこういう表現、好きだなぁ。

人はね、ネガティブなことから受けるエネルギーの方が、ポジティブなことから受けるものよりも大きいらしい。

両極端、「すげぇ好き」とも「すげぇ嫌い」とも無防備に毎日接していたら、そりゃ「すげぇ嫌い」が勝っちゃうってことなんだろうなぁ。

ってことは、対策が大事

「すげぇ好き」の方をたくさん感じようって思ってないとね、「すげぇ嫌い」にすぐ負けちゃうわけ。

あなたは今、「すげぇ嫌い」に負けちゃってない?

「すげぇ好き」な自分のことを忘れそうになってない?

もしかしたら、とうの昔に忘れちゃったよ。。。って、なってない?

そしたら、ひとまず、この本を読んでみてもいいかもしれないね

RADWIMPSの曲を聴いてみてもいいかもしれないね。

特に昔の曲なんかは、なにか感じるところがあるかもしれないよ。

* * * * *

もうひとつ、この本はおもしろい構造をしている。

 これは1年前の僕。僕はこんなことを考えていた、らしい。生まれてはじめて3日以上続く日記を書いた。そして生まれてはじめて、日記を書く意味が少しわかった。1年前の僕は、僕が想像するよりもずっと他人だ。僕が今考えもしないことを考えている。「はじめまして」の顔で僕に語りかける。僕が今抱えている悩みとは全く違う苦悩を抱え必死に生きている。そこから新しい気付きをくれる。僕は思ってるほど自分を知らない。憶えていない。
 日付の書かれた文が日記部分に当たる。そしてそれとは別に太字で書かれた文はちょうどツアーから1年後、この日記を読み返して新たに思ったこと、補足、答え合わせ、発展で書かれた文章。時空を超えた二人がこの本の中で交わった。

なるほど。これはおもしろい。

これ、僕もそのうちやってみようかな。

「ちょうど一年前のnote」を読み返して、それについて、「いまの自分」が思うこと、感じることを書いてみる。

どんなことになるんだろう。

何を感じ、そこからどう進んでいけるのだろう。

この形式自体、まったくもって新しいというわけではないけれど、「いまの自分」には、ありがたいことにその材料が手元にある。

「これ、やれないことはないんだ〜」って気づけたからね。

なんだかまたちょっと楽しくなってきました。

今日のあなたにも、たくさんの元気になる瞬間がありますように。

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